ターゲットプロテオミクスによりシグナル伝達経路を研究します

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AKT/mTOR 経路は、腫瘍の進行やがんの薬剤耐性において中心的役割を担っているため、この経路に関連するタンパク質の発現および翻訳後修飾(PTM)を定量的に測定することはがん研究に不可欠です [1]。 AKT/mTOR 経路のタンパク質レベルを測定する際の最大の制約は、厳密に検証されたメソッドおよび試薬が存在しないことと、ウェスタンブロット解析で得られる半定量的な結果に頼るしかないことです。 多くの生物学的に重要なタンパク質は極微量しか存在しないため、タンパク質濃縮のツールとして免疫沈降法(IP)が一般的に用いられます。 質量分析(MS)はタンパク質の存在量測定や PTM の同定のための検出法として、その存在感を増しています。

IP-MS ワークフローは、IP ステップと続く MS 分析を組み合わせることで、シグナルタンパク質の濃縮、抗体性能の評価、タンパク質間相互作用の解明に用いられます [4]。BioProbes 75 Journal of Cell Biology Applications の「抗体の検証における包括的戦略」を参照ください。 質量分析と組み合わせたマルチプレックス IP(mIP-tMS)は、特定のシグナル伝達経路における複数のタンパク質とそのリン酸化状態を同時に定量できるため、このワークフローをさらに加速します。 ここでは、AKT/mTOR 経路における特定タンパク質の標的セットを分析することで、mIP-tMS の方法論をご紹介します。

AKT/mTOR 経路のタンパク質のためのシングルプレックス IP-MS アッセイの開発

AKT/mTOR 経路の分析に着手する際、11 種類の経路タンパク質(うち 10 種類は最低 1 箇所のリン酸化部位を有する)を選び、IP-MS による抗体検証を行いました(表 1)。 これらのターゲットは、ウェスタンブロット解析(WB:western blot analysis)、ELISA (Enzyme-Linked Immunosorbent Assay: 酵素結合免疫吸着検定法)、Luminex® ビーズベースのマルチプレックスイムノアッセイ(Luminex アッセイ)で必要な試薬の入手しやすさに応じて選択しました。 図 1 に mIP-tMS アッセイ開発のための一般的なワークフローを示します。

最初に、IP-MS で抗体を検証し、各 AKT/mTOR 経路タンパク質の quantotypic ペプチドを同定しました。 抗体候補を IP-MS でスクリーニングしてその有効性、すなわち AKT 経路タンパク質を免疫沈降させる能力と MS と組み合わせた際のその有用性とを確認しました。 IP により濃縮したサンプルを続いて LC-MS で分析し、標的タンパク質、相互作用するタンパク質、PTM、quantotypic ペプチドを定量的に同定しました。 Thermo Scientific Dionex UltiMate 3000 RSLCnano システムと Thermo Scientific Q Exactive HF 四重極/Orbitrap ハイブリッド質量分析計を用いて LC-MS を行い、Thermo Scientific Proteome Discoverer 1.4 ソフトウェアでデータを解析し、各経路タンパク質についてパーセント配列カバレッジ、固有ペプチド、領域、PTM を評価しました。

各標的タンパク質において最善の分析上の特性を示したユニークペプチドを同定し、これらの quantotypic ペプチド配列を用いて、内部標準として機能する安定同位体標識 AQUA ペプチドを(HeavyPeptide AQUA Ultimate カスタムサービスを用いて)合成しました。 各標的タンパク質に対応する重 AQUA ペプチドをその直線性、再現性、精度、ダイナミックレンジ、定量限界、回収について評価しました。

最後に、各重 AQUA ペプチドを 3 桁の濃度範囲にわたり連続希釈して得られた標準曲線を用いて各標的タンパク質を絶対定量すると同時に、質量分析計でparallel reaction monitoring(PRM)メソッドを用いて質量分析により標的定量分析を実行しました。 得られたデータを Skyline ソフトウェア(MacCoss Lab Software, University of Washington)で解析し、キャリブレーション曲線と既知サンプルに由来する標的検体の濃度とを用いて定量限界(LOQ)を求めました。

表 1. 分析対象に選択した AKT/mTOR 経路タンパク質のトータルターゲットおよびリン酸化ターゲット。

タンパク質ターゲットリン酸化部位
AKT1/AKT2pSer473/pSer474
mTORpSer2448
IGF1RpTyr1135/1136
IRNA
PRAS40pThr246
p70S6KpThr389
TSC2pSer939
PTENpSer380
GSK3αpSer21
GSK3βpSer9
IRS1pSer312

図 1. mIP-tMS アッセイのワークフロー。 AKT/mTOR 経路のタンパク質 11 種類のトータルターゲットおよび 10 種類のリン酸化ターゲットに対応する複数の抗体を Thermo Scientific Pierce MS-Compatible Magnetic IP キット(タンパク質 A/G)を用いて検証し、LC-MS で分析しました。 各ターゲットに対してもっとも優れた捕捉効率を示した抗体を選び、IP のための Thermo Scientific Pierce 抗体ビオチン化キットを用いてビオチン化しました。 最後に、11 種類のトータルターゲットおよび 10 種類のリン酸化ターゲットを検証済みのビオチン化抗体と Thermo Scientific Pierce MS-Compatible Magnetic IP キット(ストレプトアビジン)を用いる mIP で同時に濃縮しました。mIP 溶出サンプルを in-solution 消化法で断片化し、proteotypic ペプチド混合物を生成しました。 11 種類の AKT/mTOR 経路タンパク質に対応する内部標準の重ペプチド混合物を消化済みペプチドに添加し、parallel reaction monitoring(PRM)モードで 質量分析による標的定量を行い、1 回の MS 分析で 11 種類の経路タンパク質を定量しました。

AKT/mTOR 経路のタンパク質ターゲットの濃縮

表 2 に、低存在量の AKT/mTOR 経路タンパク質ターゲットをシングルプレックス IP-MS 法で濃縮した結果を示します。 IGF 刺激をするとリン酸化カスケードを介して AKT/mTOR 経路シグナル伝達が活性化されることが示されています [5]。 AKT/mTOR 経路タンパク質ターゲットを無刺激および IGF-刺激 A549溶解液から免疫沈降し、上述の IP-MS 法で MS 分析を行いました。 IP濃縮前の溶解液(無刺激および IGF-刺激した細胞に由来する溶解液の混合物で、免疫沈降を行っていない)と比較すると、IP で濃縮したサンプルを LC-MS 分析することで、有意に多い数の固有タンパク質を同定できました(表 2)。

シグナル伝達タンパク質、相互作用するタンパク質、それぞれの標的タンパク質におけるPTM を量的に比較し、AKT/mTOR 経路タンパク質に対する IGF 刺激の効果を評価しました。 トータル AKT、IGF1R、mTOR ターゲットについて、タンパク質アイソフォームと相互作用タンパク質を同定しました。 リン酸化 AKT1、AKT2、mTOR、IGF1R、PRAS40 ターゲットについて、主要なリン酸化部位を同定しました。 各経路タンパク質の相対量は、各ターゲットで同定されたすべてのユニークペプチドのピーク面積値の合計を用いて測定しました。 無刺激サンプルと比べ IGF-刺激 A549 溶解液では、リン酸化 AKT、IGF1R についてより多くのユニークペプチドが観察されました。 以上の結果より、溶解液からタンパク質をただ同定するほかに、IGF 刺激後の AKT/mTOR 経路のシグナル伝達イベントを解明するためにシングルプレックス IP-MS 法を適用できることが示されました。

表 2. IP-MS による低存在量 AKT/mTOR 経路タンパク質の濃縮。

IP 抗体同定されたターゲットIP-濃縮前のユニークペプチドの数IP-濃縮後のユニークペプチドの数同定されたリン酸化ペプチドサイト
–IGF+IGF
Phospho-AKTAKT1320+IGF: Ser473
AKT214+IGF: Ser474
AKT313NA
AKT1AKT11612NA
AKT2911NA
AKT353NA
Phospho-mTORmTOR27582Thr2446、Ser2448
RICTOR2NA
SIN123NA
Gbl44NA
IGF1RIGF1R41313NA
IR106NA
Phospho-IGF1RIGF1R45+IGF: Tyr1135/1136
PRAS40PRAS4088Thr246
Phospho-PRAS40PRAS4086Thr246

mIP-tMS アッセイの検証

上述のシングルプレックス IP-MS 分析は、意図したターゲット、相互作用するタンパク質、PTM を問題なく濃縮できましたが、AKT/mTOR 経路に由来する 10 種類のリン酸化(および 11 種類のトータル)タンパク質ターゲットそれぞれについて個別に IP を実施する必要があります。 一方で、mIP-tMS 分析では 1 回の IP から得らるすべてのターゲットを同時に濃縮、定量できます。 同定済みの AKT/mTOR タンパク質に絞り、無刺激および IGF-刺激 MCF7 溶解液に対して 10-プレックスリン酸化 mIP-tMS アッセイおよび 11-プレックストータル mIP-tMS アッセイの使用を検証しました。 質量分析による標的定量では、12 種類のターゲット(AKT1、AKT2 をともに含む)に対応する 18 種類の添加 AQUA 重ペプチドを用いて標準曲線を作成し、AKT/mTOR タンパク質の絶対定量で用いました。 こうした mIP-tMS アッセイでは、マルチプレックスリン酸化アッセイから 11 種類、マルチプレックストータルアッセイから 12 種類のタンパク質が同定されました(表 3)。 IGF-刺激 MCF7 細胞溶解液では、IRS1 タンパク質に加え、PI3K サブユニットも同定されました。 IGF-刺激後、リン酸化 AKT1、AKT2、IGF1R の増加が認められました。

表 3. リン酸化 mIP-tMS アッセイおよびトータル mIP-tMS アッセイの検証。

ターゲット10-プレックスリン酸化アッセイ11-プレックストータルアッセイ
ユニークペプチドの数
–IGF+IGF–IGF+IGF
AKT192530
AKT242426
mTOR48562528
IGF1R133235
IRNANA2926
PRAS4057910
p70S6K9141112
TSC25104245
PTEN159
GSK3α761921
GSK3β13102323
IRS14114554
PIK3R122
PIK3CA2
PIK3CB6
PIK3R222

mIP-tMS アッセイの評価

生物学的サンプル由来の目的タンパク質を定量するためには、複数のシングルプレックスまたはマルチプレックスのイムノアッセイベースの方法があります。 mIP-tMS アッセイと、従来型の確立されたイムノアッセイと比較して、その性能を評価することにしました。 無刺激および IGF-刺激の HCT116、A549、MCF7 細胞中の 11 種類のリン酸化タンパク質および 12 種類のトータルタンパク質を、mIP-tMS、WB、ELISA、Luminex アッセイで分析しました(図 2)。mIP-tMS アッセイでは、すべての細胞株において低濃度~数ナノグラム濃度の 12 種類のトータルターゲットおよび 11 種類のリン酸化ターゲットを絶対定量できました。 4 アッセイの比較から、ターゲット依存的な相関と、WB 法は他の 3 法と結果が一致しないことが示されました(図 2)。 一部のターゲットで見られた結果のバラつきは、抗体の特異性に起因する可能性があります。 AKT/mTOR 経路に由来するタンパク質存在量について、リン酸化ターゲットはトータルターゲットに比べ低い相関を示しました。

A
akt-fig2a
B
akt-fig2b

図 2: AKT/mTOR 経路に関するアッセイ法の比較。 無刺激および IGF-刺激の A549、HCT116、MCF7 溶解液に由来する AKT-mTOR 経路タンパク質ターゲットの定量法として、mIP-tMS アッセイを現行のイムノアッセイと比較しました。 メーカーの指示通りにウェスタンブロット、ELISA、Luminex アッセイを実行しました。Thermo Scientific Q Exactive HF 四重極/Orbitrap ハイブリッド質量分析計を用いて、11 種類のトータルターゲット、10 種類のリン酸化ターゲットを対象に PRM モードの mIP-tMS アッセイを行いました。 mIP-tMS、ELISA、Luminex アッセイでは(A) トータル AKT および(B) リン酸化 IGF1R について良好な相関が認められましたが、ウェスタンブロットでは認められませんでした。 RQ = 相対定量分析;AQ = 絶対定量分析。

結論

AKT/mTOR 経路用に開発した mIP-tMS 法を用いて、抗体の選択性を検証し、AKT/mTOR 経路タンパク質の相互作用およびオフターゲットを評価しました。 検証済みの抗体および最適化された mIP-tMS ワークフローは、ターゲットの濃縮、選択性、柔軟性を兼ね備え、複雑な生物学的相互作用の解明が進みました。 mIP-tMS アッセイはその多重化性能により、検出限界を損なうことなくサンプルスループットを向上する有効な戦略です。

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