「いつ行く? どうする? 海外留学 Vol.10」
井垣 達吏 氏(京都大学大学院 生命科学研究科 教授)

アポトーシスを研究テーマに修士課程を修了後、4年間製薬企業で研究を続け、再度アカデミックに戻った井垣氏。研究者として自立することを目標に研究に打ち込み、博士課程、そして留学へ旅立ちます。アポトーシスのシグナルが細胞内でどのように伝えられていくかだけでなく、細胞同士の柔軟なコミュニケーションシステムに多細胞生物の生き残り戦略の面白さを感じ、独自の視点から研究テーマを発展させたと語たります。

企業研究員から再び学生へ
「製薬企業でも、大学時代と同じく細胞死関係の研究に取り組み、充実した生活を送ってきました。ただ残業時間の制限や研究成果の取り扱いなど、企業としての制約を少しずつ窮屈に感じてきました。そこで思う存分に研究をやってみたくなり、アカデミックに戻ることにしたんです」と井垣氏。安定した企業研究員を退職し、医学部の博士課程に入学します。

ショウジョウバエを研究ツールに
「それまで哺乳類の培養細胞を使っていましたが、博士課程ではハエを使い細胞死の研究を遺伝学的に行うことになりました。研究室でも始めたばかりだったので、基本的な実験も試行錯誤の連続でした」と振り返ります。しかし生体レベルで研究する面白さに夢中になり、1年目にはBcl-2のホモログ遺伝子を、3年目には無脊椎動物で初めてTNFファミリーの遺伝子を発見し、Eigerと名付けます。さらにEigerによる細胞死はカスパーゼに依存せず、JNKを介する新たなシグナル経路を取ることを明らかにしました。細胞死リガンドによる細胞死の機構が進化的に保存されていることを初めて示したのです。

さらに研究を極めたい!
「ハエの研究をさらに発展させたくて、Yale大学のTian Xu氏にメールを出しました。彼が開発した『モザイク解析法』という、異なる細胞間のコミュニケーションを解析するパワフルな技術を習得したいと思ったのです」。しかしTian氏の返事は思いがけないものでした。「彼は国際電話で新たに開発した実験系を熱く語りました。それはがん細胞の転移と浸潤のモデルの構築であり、それにはがん遺伝子rasと、細胞極性に関わるscribble遺伝子の機能不全という2つの条件が必要だということです。しかも彼は僕のEigerの論文を読んでおり、この細胞のシグナル解析を提案してきました。自分が必要とされていると感じ、喜んで引き受けました」と留学を決めた理由を話します。


デパートメントのソフトボールチーム

フェアウェルパーティー。大学のトレーナー(紺)を着用。彼から右2人目がTian氏。

自身の研究テーマを切り拓く
最初の10か月はなかなか成果が出ませんでしたが、実験に明け暮れる日々の中から少しずつ結果が出てきます。論文をまとめつつ、井垣氏は、ふと面白い現象を見つけます。「scribble遺伝子だけを潰した細胞は、それだけだとものすごい勢いで増殖するのに、正常な細胞に囲まれると消滅することに気づいたんです。明らかに細胞間のコミュニケーションで、何かが起きていると確信しました。そしてこの現象に細胞内のEigerを起点にJNK経路が関わることを突き止めたのです。ボスからもオリジナルの研究と認められ、『細胞間の協調と競合』をテーマに日本でラボを立ち上げ、独立しました」と語ります。

 

自分のタイミングで留学を
「留学する時、Tian以外の2つの研究室のボスからも前向きな感触を得ていました。30才を過ぎての留学は少し遅めでしたが、論文を出していたことがプラスに働いたようです。自分自身も留学生を受け入れる立場になり、最初のフィルターは論文になるので、わかる気がします。留学先では14、5人のポスドクと議論しながら切磋琢磨する中で、自分自身とも深く向き合い、研究の意義や目標を明確化できました。ボスは中国人としてラボを立ち上げた野心家であり、研究室にはアメリカ以外にもヨーロッパやアジアの留学生もいて、異なる文化の中で刺激的な日々を過しました。もちろん海外での生活自体も楽しみました」と留学の良さを語ります。

 

井垣 達史(いがき たつし) 氏
2003年大阪大学大学院医学系研究科博士課程修了、医学博士。2003年~2007年Yale 大学にてポストドクトーナルフェロー、2007年より神戸大学大学院医学研究科テニュアト ラック独立特命助教、同准教授(テニュア)等を経て、2013年より現職。

 


関連リンク