徳永勝士氏(東京大学大学院 理学博士)

ヒトゲノムプロジェクト終了から、ほぼ10年。ヒトのゲノムを構成する、約30億の塩基対の情報をもとに研究はどのように進み、どういう未来を描こうとしているのでしょうか。東京大学大学院医学系研究科の徳永勝士教授は、ゲノム情報や多型情報が未整備の1980年代からヒト遺伝子と向き合い、医療への貢献を念頭に研究を続けてきました。そして2009年、ヒトゲノム関連解析(Genome wideassociation analysis: GWAS)というアプローチを武器に、C型肝炎治療効果と遺伝子多型の関連を報告。それまで薬剤の奏功性は、ウイルス側が決めると想定して進められてきた研究の流れを覆します。「科学の王道は、仮説と検証だと言われます。しかし生命科学における我々の知識はまだまだ限られています。全ゲノムアプローチは、仮説に捉われず、私たちの予想を遙かに超えた真実をもたらす可能性を秘めています」と徳永氏は語ります。ヒトゲノム全体を相手に疾患との関連を解き明かすゲノムワイドアプローチ。その成果とこれからの医療への貢献について話を伺いました。(インタビュアー:ライフテクノロジーズサイエンスコミュニケーター 橋本 裕子)


C型肝炎研究に訪れたパラダイムシフト
C型肝炎ウイルスの慢性的な感染によるC型肝炎は、肝臓がんの主要な原因であり、典型的な治療にはインターフェロンαとリバビリンという薬剤の併用療法が行われます。しかしこの治療法が功を奏さない症例が、日本人でも約40%程度存在することが知られていました。ほんの数年前まで、ほとんどのアプローチは、感染ウイルスのサブクラスや量を調べ、奏功性との因果関係を調べるというもの。ところが、いくら調べても、なぜかすっきりと結論が出ない状況が続いていたそうです。「何か別の視点からアプローチできないか?」当時、名古屋市立大学医学研究科教授の溝上雅史氏(現国立国際医療研究センター研究所 肝炎・免疫研究センター長)は、ウイルス側ではなく患者側の違いを調べることを思いつきます。そして、徳永氏と共同研究を進めることに。「その結果は、驚くべきものでした。約2万種類のヒト遺伝子の中から、ファーストスクリーニングですでに強く相関する遺伝子が浮かび上がってきたのです。しかもその遺伝子は、これまで何の関連性も報告されていなかった、19番染色体のIL28B遺伝子」と印象的な解析結果について振り返ります。その後、この遺伝子とC型肝炎治療の奏功性を報告。治療効果のない患者群で、遺伝子発現が低下することも観察しました(1)。IL28B遺伝子の別名は、インターフェロンλ。治療薬として使用するインターフェロンαと類似のファミリーに属しています。「もしかすると無効性の患者では、そもそもインターフェロンの生理作用が十分に発揮されず、治療効果が低かったのかもしれません。そうであれば、今回の結果は、治療効果の予測のみならず、新たな治療薬開発へ道を拓く可能性があります」と続けます。すでに実際の医療現場では、患者のIL28遺伝子のSNP検査が実施され、C型肝炎に対するの新薬の治験でもこの遺伝子のSNPを調べるようになってきているそうです。また肝臓学会でもIL28遺伝子の解析を伴う演題発表が急増しました。基礎研究の成果が、時を待たず、臨床へ活かされていく新しい道が切り拓かれたようです。

「ありふれた病気(common disease)」への新たなアプローチとは?

治療薬の奏功性だけでなく、疾患そのものと遺伝子の関係を解析する場合もゲノムワイドアプローチは有効です。例えば、特定の遺伝子の変異が高い確率で発症に結びつく遺伝病(単一遺伝子疾患)は、発症家系のゲノムワイドな連鎖解析から原因遺伝子を同定することで大きく進展しました。これに対して、糖尿病や心筋梗塞など「ありふれた病気」では、一つの遺伝子の影響は少ないけれど、複数の遺伝子が発症に関連します。「ありふれた病気」に対しても、GWASアプローチの有効性が試されています。例えば2型糖尿病では、現在60種類程度の関連遺伝子が見つかっています。しかしそれでも遺伝要因全体への寄与率は20%程度。全疾患関連遺伝子の数は数百種類に上るかもしれません。徳永氏は、この病気へのアプローチについて、次の様に語ります。「現在2つのアプローチを考えています。一つはこれまで通り、アレル頻度が高い、コモンバリアントSNPで関連解析を行い、さらに多くの感受性遺伝子を見つけること。もう一つは、アレル頻度は低いけれども病気への寄与率が高い遺伝子を新たに見つけ出すことです。こちらはまだ確実な方法がないため、新たなゲノムワイドアプローチ戦略の開発が急務です」。徳永氏は2010年、東京女子医科大学糖尿病センター准教授の岩﨑直子氏らとの共同研究から、2型糖尿病の疾患感受性遺伝子としてKCNJ15遺伝子を報告しました(2)。「この遺伝子は、肥満していない東アジア人の糖尿病と強い関連がみられます。糖尿病と言えば肥満との関連を思い浮かべますが、一つの病気にもいくつかのサブクラスがあるのかもしれません。ただ闇雲に解析数を増やすのではなく、病気の特性に合わせてサブグループ化することで、比較的影響の大きな疾患感受性遺伝子を見つけられるかもしれず、将来、疾患関連遺伝子から病気の分類ができるようになるかもしれませんね」と独自のアプローチについて説明します。徳永氏はこのほかにも、ナルコレプシー( 代表的な過眠症)、B型肝炎などさまざまな疾患について、多施設共同研究を展開しています(3)。また、今後、新技術を梃子に解析方法を開発する必要にも言及します。「先日参加した中国でのNature Conferenceでは、急激な技術革新が進む次世代シーケンサの活用が大きな話題になっていました。シーケンスベースのGWASもこれから進むでしょう」と徳永氏は新しい可能性を示唆します。

ゲノム情報の活用と社会─ ゲノム情報は誰のもの?

疾患や治療へのゲノムからのアプローチの有効性が向上することで、今後ますます個人レベルのゲノム解読の重要性が増すことが予想されます。また解析技術の汎用化に伴い、一人ひとりのゲノム情報に対する取り扱いも慎重に行う必要性が高まります。徳永氏は、昨年度、文部科学省・経済産業省・厚生労働省の三省が共同で作成する、「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針(4)」委員会の委員を務めました。この指針作成の目的は、「ヒトゲノム・遺伝子解析研究は、個人を対象とした研究に大きく依存し、様々な倫理的、法的又は社会的問題を招く可能性があり、適正に研究を実施することが不可欠である」ということ。平成13年に作成され、三省が広く社会に提示し、ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関わるすべての関係者において遵守することが求められています。ゲノム研究の進展により、基礎研究と臨床応用の垣根が低くなることで、研究者は研究だけでなく、広く社会一般への配慮や倫理規範が求められます。今後、研究推進だけでなく、社会への働きかけにも、徳永氏の活動が注目されそうです。

徳永勝士: 1982年東京大学理学系大学院博士課程単位取得後、 日本学術振興会奨励研究員、東京大学理学部人類学教室助手を 経て、オーストラリアRoyal Perth Hospital, Department of Clinical ImmunologyでSenior Research Fellow。その後、 東京大学医学部附属病院助手、日本赤十字中央血液センター研究 部課長を経て、95年度に東京大学教授。2007年より国際保健学専 攻長、現在に至る。

参考文献

  1. Genome-wide association of IL28B with response to pegylated interferon-alpha and ribavirin therapy for chronic hepatitis C.
    Tanaka Y, et.al Nat Genet. 2009 Oct;41(10):1105-9. Epub 2009 Sep 13.
  2. Identification of KCNJ15 as a susceptibility gene in Asian patients with type 2 diabetes mellitus.
    Okamoto K, et al. Am. J. Hum. Genet. 86: 54-64, 2010.
  3. 「ゲノムワイド関連解析による疾患感受性遺伝子・薬剤応答性遺伝子の探索」徳永勝士 ファルマシア Vol.46 No.5(2010)p421-426
  4. ヒトゲノム・遺伝子解析研究に対する倫理指針

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