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油谷浩幸 氏(東京大学 先端科学技術研究センター教授)
2003年のヒトゲノム解読プロジェクト終了宣言の数年前、油谷氏はポストゲノムを見据えてゲノムワイドな遺伝子探索を開始。種々のがんのマーカー遺伝子を同定し、その後「コピー数多型」というゲノムの個人差のマップを報告しました。常に最新技術を疾患研究に応用し、新しい発見を続ける油谷氏。次世代シーケンサやマイクロアレイから得られる、膨大なゲノム情報を解析し、生命現象と疾患のメカニズム解明から、より深く「ヒト」を理解しようとしています。Anniversary Interview第2弾は、ポストゲノム研究にいち早く取り組み、成果を出し続ける油谷氏にお話しを伺いました。
ゲノムサイエンスの研究者を目指したきっかけは何でしょうか?
1983年にハンチントン病の原因遺伝子の染色体上の位置が解明されたこと、1986年に網膜芽細胞腫原因遺伝子RBの同定に、衝撃を受けたことでしょうか。1980年代から急激に進んだ遺伝子解析技術で人の病気の原因をつきとめられたことに驚き、一人ひとりのゲノム配列が多様なことに強い興味をもちました。医学部卒業後、しばらく内科医として臨床に携わり、ちょうど1983年ごろから動脈硬化の遺伝子同定と多型解析の研究を始めた頃でした。コレステロール代謝の違いを調べるために、100人分のゲノムDNAを制限酵素で消化してはサザンブロットを行っていました。染色体マップもなかった時代で、まったく手間のかかる作業でした。でも、そのときに個々の遺伝子ではなく、ゲノム全体の多様性を解析したいと思い、ゲノムサイエンス研究の道を歩み始めました。
そのころの研究が、コピー数の違いというゲノムの多様性の発見につながるのですか?
1999年、先端科学技術研究センターに移った当時、ヒトゲノム解読プロジェクトも終了に近づきつつありました。そこで、遺伝子の発現全体を研究しようと思い、機能ゲノミクスのラボを立ち上げました。ゲノム解析技術が目覚ましく発展したころで、まずは、マイクロアレイ、そして次世代シーケンサなどの先進的な技術を利用して、包括的なゲノム情報を得て研究を進めました。最初に行ったのは肝臓がんや胃がんの研究です。そのとき同定した肝臓がんのマーカーに対して作成した抗体は治療薬としての開発が進んでいます。
一方、SNPアレイを用いてがんの染色体異常の解析を進めるうちに、当時大学院生だった石川俊平先生(現東京医科歯科大)と一緒に「一塩基多型(SNPs)」以外にも、「コピー数多型」という遺伝子の個人差があることを見出し、そのゲノムマップを報告しました。本来なら、2コピーずつ持っているはずの遺伝子を人によっては1コピーしか持っていなかったり、3コピーも持っていたりということがかなりの頻度で起こっていることを突き止めたのです。今後もエピゲノムやトランスクリプトームなど、ゲノムDNAに関わるさまざまな生命情報を統合して、さらに疾患研究を進めたいですね。
研究人生のマイルストーンは、何ですか?
小さな発見の積み重ねや、技術開発がマイルストーンでしょうか。解析技術が向上すると、これまでより一段高いところから生命現象を俯瞰でき、次の発見につながります。技術を駆使して、新たな解析法を編み出し、革新的な発見に導くのが自分の役目だと思っています。
30年後の未来をどう予測しますか?
急速に解析技術が進む現状では半年後も予測できないので、30年後を予測するのは難しいですね。そもそも30年前は、ゲノムワイド研究なんて手が出せないと思っていたし、5年前にはヒトゲノムが1000ドルで解読できるとは思ってもみませんでした。今後も、技術の進歩が楽しみです。でも、技術だけに頼り、単に遺伝子や塩基配列を見ているだけでは、本当の生命現象を理解することはできません。だからこそ病気の研究をするのです。それがヒトゲノム理解への一番の近道だと思っています。世界中の医師がヒトという生物のフェノタイプを毎日観察しています。まさしく、ノーベル賞学者シドニー・ブレナーの「人間が最大のモデル動物である」という言葉通りです。これからもヒトから離れずクリニカルゲノミクス研究を極め、基礎研究にも貢献していきたいですね。
油谷浩幸(あぶらたに ひろゆき):1980年東京大学医学部医学科 卒業後、同大附属病院内科にて研修医、医員、助手等を経て、1988 年マサチューセッツ工科大学癌研究センター研究員に。1995年に 東大医学部に戻り、1999年同大学先端科学技術研究センター助教 授を経て、2001年同教授。
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