神経発生過程の可視化と再生医療の実現に向けて

笹井芳樹 氏(理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター器官発生グループ グループディレクター)
高田望 氏(理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター器官発生グループ 研究員)

「この技術が一つの技術領域に成長していくという期待があり、早くからES細胞など幹細胞への導入を進めてきました」。こう語るのは、理化学研究所グループディレクターの笹井芳樹氏。

笹井氏は2年前、試験管内でマウスES細胞から立体構造を有する網膜を作り出し、世界中の研究者を驚かせました。笹井氏の言う冒頭の技術とは、「ゲノム編集」のこと。「少なくとも幹細胞のレベルでは、すでに安定的に使える技術」と評します。そして「確かにこれまでも同様の遺伝子改変技術が使えましたが、導入効率が著しく低く、時間や労力の点から躊躇せざるを得ない研究テーマがいくつもあったんです。この技術を使うことで、研究の質が変わっていくことを日々実感しています」と続けます。

笹井氏とともにプロジェクトを進める研究員の高田望氏は、マウスES細胞で複数の遺伝子をゲノム編集し、神経発生過程における多遺伝子ネットワークの可視化に取り組んでいます。研究技術として定着し始めたゲノム編集技術。 最先端研究への貢献と今後の可能性について、お話を伺いました。


立体的な「眼」を作る研究

2011年4月、笹井氏の研究グループは世界で初めてマウスES細胞から人工網膜組織の三次元形成に成功したと発表しました。当時、再生医療に対する世間の大きな期待とは裏腹に、研究者の中ではiPS細胞やES細胞から臓器や器官を作りだすことは、まだ夢物語と思われていました。そんな時期に、笹井氏は細胞の培養条件を仔細に検討し、細胞自身が持つ自己組織化能力を十分に発揮させることで、生体内での神経層構造を忠実に再現した網膜の立体構造を作り出したのです。現在、笹井氏は立体網膜や眼杯形成実験系でも、ゲノム編集技術の活用に取り組んでいます。これらの成果は、理化学研究所が進める世界初の黄斑変性疾患患者へのiPS細胞由来の細胞移植を始め、組織移植による臓器再生を目指すこれからの再生医療の礎となり、それらを大きく発展させると鍵となります。

ゲノム編集で何ができる?


「マウスES細胞の場合、TALs実験に使う細胞数は、これまでの10分の1。導入機器としてNeon® Trancefection システムを使用すれば細胞生存率が高く、細胞数を減らすと、かえって導入効率が上がるようです」と高田望氏は実験のコツをアドバイス。

ゲノム上の任意の遺伝子座に対してノックアウトやノックインを誘導するゲノム編集技術。例えば、人工ヌクレアーゼを利用するゲノム編集では、希望するDNA配列を認識するタンパク質と二本鎖DNA切断酵素FokⅠを組み合わせて使います(NEXT No.18、p 4 参照)。DNA結合ドメインには、TAL(Transcriptional Activator-Like)エフェクターやZF(Zincfinger)を使いますが、前者は配列設計の自由度や特異性が高いと言われています。それではゲノム編集で何ができるのでしょうか。ライフテクノロジーズのGeneArt® Precision TALsを使用中の高田氏は次のように答えます。「例えば、従来法ではマウスのES細胞における相同組み換え効率は約100分の1。TALsを使うと、その10倍から20倍ほど効率が上がります。これまでは1つの遺伝子の改変でも大変でしたが、TALsなら複数の遺伝子改変実験もそれほど苦労せずに行えますね。またマウスよりも効率が低かったヒト幹細胞の遺伝子改変にも使えます」。


マウス胚性幹細胞の3D培養にTALsを使い、神経上皮分化と領域特異的マーカーによる可視化を行った。
さらに高田氏はコメントを続けます。「従来法では、組み換え用の相同配列に4キロから8キロベースの長いDNA鎖が必要でした。しかも長い配列を扱うにはBAC(大腸菌人工染色体)を使う必要があり、大腸菌内での組み替えなど、準備にも時間が取られていました。しかしTALsの場合、相同配列は0.8キロから1キロベースで十分。短くて済むので、ホストの細胞からPCRで直接目的の相同配列をクローニングし、ドナーDNAとして導入できるようになりました。SNPがあったとしても、導入したいホスト側の配列を変えることなくノックインできます。おまけにターゲティングベクターの作製にはMulti Site Gateway®が使えて便利ですね」。スムーズに進む実験から、新たな知見が得られる日も間近のようです。


研究の潮流が変わる


ゲノム編集について語る笹井氏。
「ゲノム編集技術は新たなことを可能にするというよりも、これまでもやろうと思えばできた研究の効率を向上させる技術。しかしそこには大きな飛躍があります。高田さんが指摘するように、これまで理論的にはできると言われていても、実際には手が出なかったテーマも取り組めるようになったんですから」と笹井氏。「一つの研究室で取り組む研究のスパンを考えた時、ライフサイエンス研究はおよそ3年で、ある程度答えが出ることが一つの目安になると思っています。ですから、これまではヒト幹細胞への遺伝子改変を試す気にはなりませんでした。しかし今や我々もマウスだけでなくヒトの立体網膜や眼杯形成研究にこの技術を応用しています」と話します。特別な施設や高度な専門技術を必要とせず、しかもTALsの様な受託サービスを利用すれば、短期間で様々な遺伝子改変を評価できる時代。さらにエピジェネティックな遺伝子修飾など新たな機能や手法など、ゲノム編集技術はいまだ発展途上。まさに「潮流を変える」技術として今後の活用が期待されます。

21世紀テクノロジーと生命倫理

マウスやヒトの幹細胞で確実に効果を発揮し始めたゲノム編集。加速する研究の未来を、笹井氏はどのように予測しているのでしょうか。「再生医学の分野では、ES細胞のゲノムを編集して疾患のモデル細胞を作ったり、患者さんのiPS細胞を編集して正常化できるかどうかを検証する研究が進み、長期的には自家移植による遺伝子治療への応用が期待されます」。その一方で、ゼブラフィッシュやカエルでは受精卵に直接mRNAを打ち込んで生物自体の遺伝子改変も成功しています。笹井氏は「生命科学におけるゲノム編集、特に哺乳類のゲノム編集は第一章を終えたところだと言えます。次はいよいよin vivo、受精卵への応用が予想されます。第2章へ進むためには、ゲノム編集技術について倫理的な観点からも広く議論する必要が出てくるでしょう」。次世代のその先まで見据えた次々世代の再生医療実現化プロジェクトを率いる笹井氏。笹井氏は、新たな技術や研究が及ぼす影響を想定し、多くの人と真摯に向き合う重要性も忘れずにいます。

笹井芳樹(ささいよしき):1992年京都大学 大学院医学研究科 博士課程修了(医学博士)後、カリフォルニア大学(UCLA)医学部客員研究員、京都大学医学部助教授、同大学再生医科学研究所教授を経て、2003年より理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター(CDB)器官発生グループ グループディレクター。「山崎貞一」賞、「武田医学」賞等数々の受賞歴。

高田望(たかたのぞむ):2004年 名古屋大学理学部生命理学専攻学士号取得。形態統御学講座 植物発生学グループ。2004~2009年大阪大学大学院理学研究科、微生物病研究所 環境応答研究部門 発癌制御研究分野。2009年より理化学研究所CDB器官発生グループ研究員 理学博士。


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