佐谷秀行 氏(慶應義塾大学医学部附属先端医科学研究所教授)
後藤典子 氏(金沢大学がん進展制御研究所教授)

1997年、白血病でがん幹細胞の存在が初めて報告されました。 2000年代に入ると、乳がん、脳腫瘍、食道がん、肝臓がんでも、がん幹細胞の報告が相次ぎます。 慶應義塾大学教授の佐谷秀行氏は、がん幹細胞のマーカーとして報告されたCD44の機能解析から、 がん幹細胞を狙い撃ちする薬剤を探しだし、その効果の検証を進めています。 一方、金沢大学教授の後藤典子氏は、がん幹細胞に特有のシグナル伝達経路を捉え、 新たな分子標的医薬品のターゲットをあぶり出そうとしています。 がん研究にパラダイムシフトをもたらした、「がん幹細胞」。 近年の研究から、この細胞はがん組織のうちのごく一部の細胞集団であり、従来の抗がん剤や放射線治療では死滅しにくく、 転移や再発の原因となることが分かってきました。 新たながん研究として期待されるがん幹細胞研究の現状と応用について、 果敢にがん幹細胞研究に取り組む二人の研究者に話を伺いました。



がん幹細胞、本当にあるの?

「最初に学生から、がん幹細胞の研究をしたいと言われた時、『そんなものは存在する訳がない』と答えたんですよ」と佐谷氏。けれども懐疑的だったからこそ、より厳しい目で実験し、「やっぱりがん幹細胞がある」という結論に達したと言います。そして佐谷氏が20年間研究を続けて来たCD44が乳がんのがん幹細胞表面で高発現しているという論文を目にした時、「CD44は単なるマーカーではなく、機能的にもがん幹細胞に深く関わっているはずだ。フィラデルフィア染色体が単なる白血病のマーカーではなかったように」と確信したと振り返ります。そして2010年、がん幹細胞がCD44のバリアント(CD44v)を特異的に発現すること、この分子の働きを介して細胞内に抗酸化作用のある物質が産生され、がんの増殖を抑えるp38の働きを阻害すること、さらに胃がんマウスでCD44vの働きを抑えるとp38が活性化し、腫瘍が小さくなることを確認します。2011年には、マウスの実験で、炎症を抑える薬「スルファラジン」と抗ガン剤を一緒に投与することで、CD44vが活性化するトランスポーターの働きを阻害し、がん幹細胞が死滅しやすくなること、しかも増殖だけでなく、転移や再発を抑えることを報告しました。

がん幹細胞特有のシグナル伝達経路を捉える

後藤氏も佐谷氏と同じくがんの臨床を経験し、その根治を目指して基礎研究からアプローチしてきました。特に成長因子受容体を介するがん細胞のシグナル伝達をテーマに研究を続け、その過程で体性幹細胞の重要性に注目します。「その経緯から、がん幹細胞の存在は素直に受け入れた」と語ります。そして再発や転移を繰り返す、がんの根治には、がん幹細胞をターゲットにすべきという思いを強めます。昨年、乳がんの手術摘出検体から得た細胞を使って、がん幹細胞に特異的な直径100μm程度の球状浮遊細胞塊(スフェア)を形成するための条件を詳細に調べ、細胞表面から核内へ続くErbB/HER-NFkB経路の活性化により、幹細胞の特徴である自己複製能が維持され、生体内に棲みつくことを明らかにしました。後藤氏は、「数は少なくとも、がんを生み出すがん幹細胞を狙うことを指標に、治療効果を再評価する必要性」を指摘します。

概念的ながん幹細胞研究から応用研究へ

「がん幹細胞は、まだ概念的な存在とも言えます。なぜならこの細胞の定義は難しく、今後も研究の発展に応じて変更される可能性が大いにあるからです。私自身も日々その変化を感じています」と佐谷氏。「がん幹細胞という新しい概念を基に研究を進め、臨床で役立つ抗がん剤の使用法や開発を提案していきたい」と後藤氏。両氏は、がん幹細胞をターゲットに新しい抗がん剤を開発するために、ゼロから薬をつくるのでなく、まずは既存の薬から探索するアプローチをとっています。認可薬は安全性が担保され薬物動態が分かっているので、この中に標的分子を阻害する薬剤があれば、薬の開発にかかる時間とコストを抑えられます。このアプローチから佐谷氏はCD44vの働きを阻害する前述のスルファサラジンに行きつきました。潰瘍性大腸炎、関節性リウマチの治療に使われてきた抗炎症薬が、がん細胞の活性酸素に対する抵抗性を抑える役割をもつことを証明したのです。

がん幹細胞研究は総力戦で

今後の研究の発展について佐谷氏は、次の様に語ります。「CD44vを使ってがん幹細胞の機能を営んでいるのは、一部のがんです。それ以外のがん幹細胞で、その性質を獲得する方法を明らかにしていきたい。そのためには、シグナル伝達、代謝、動物実験モデルなど、様々な知識や技術をもった研究者が協力し合う必要があります。後藤さんが、進めているシグナル伝達の網羅的な発現解析の技術も、非常に重要です」。日々新たな展開が拡がる基礎研究の進歩を、応用研究につなげることを常に念頭に、佐谷氏と後藤氏は幅広い分野の人々との共同研究を進めています。

佐谷秀行(さや ひでゆき)慶應義塾大学医学部附属先端医科学研究所教授。医学博士。1987年、神戸大学大学院医学研究科博士課程修了。カリフォルニア大学サンフランシスコ校の脳腫瘍研究センター研究員、テキサス大学M.D.アンダーソンがんセンター助教授、熊本大学医学部腫瘍医学講座教授を経て、2007年より現職。

後藤典子(ごとう のりこ)金沢大学がん進展制御研究所教授。医学博士。1989年、金沢大学医学部卒業。東京大学大学院臨床医学系、東大病院第三内科臨床研修医、東京大学医科学研究所・助手、ニューヨーク大学医学部博士研究員、東京大学医科学研究所腫瘍抑制分野講師、システム生命医科学技術開発共同研究ユニット、分子療法分野特任准教授を経て、2013年より現職。


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