北田徹氏 (カナダオタワ病院Clinical Fellow in Neurology)

オタワ大学神経内科パーキンソン病クリニック: directorのDavid A. Grimes准教授(後列左)と研究パートナーでもある Michael G. Schlossmacher准教授(後列右)と北田氏(前列左)。Civic Campusにて
パーキンソン病は主に50歳以降に発症し、ゆっくりと進行する原因不明の神経変性疾患であり、手の震え、動作の緩慢、筋肉のこわばりなどの運動症状を呈し、神経伝達物質ドパミンの減少で起こると考えられています。多くは孤発性ですが、一部に家族性で発症します。15年ほど前から、パーキンソン病に関連する遺伝子がいくつか同定され(劣性遺伝ではParkin, DJ-1, PINK1遺伝子など)、その遺伝子産物であるタンパク質の機能やモデル動物の解析を通して、パーキンソン病の分子レベル、細胞レベルでの病因解明が進んできました。

1998年当時、順天堂大学に所属していた北田徹氏は、パーキン遺伝子の発見を多くの研究者との共同研究によって成功させます。そして現在も、カナダのオタワ病院で研究と臨床の両面でパーキンソン病の克服に取り組んでいます。今回、北田氏よりメールをいただきました。パーキン遺伝子発見までの夜を日に継ぐ研究の日々、その努力に応え微笑む幸運の女神、そして自然豊かなカナダでの研究生活をご紹介します。


パーキン遺伝子発見に至る20年前の記念すべき第一歩

パーキン遺伝子発見(1)には奇跡ともいえるいくつかの偶然が、同定までの時間を大幅に短縮させました。今から20年以上も前、私が当時在籍していた順天堂大学神経学教室水野美邦教授はパーキンソン病の病因としてミトコンドリアに早くから注目。1990年代半ばから、研究室の松峯宏人先生を中心に主に順天堂大学や広島大学の山村安弘先生が担当していた常染色体劣性遺伝型パーキンソニズム(AR-JP)の患者さんのDNAを用いて連鎖解析を開始しました。最初は、ミトコンドリアに存在する抗酸化作用を持つ酵素マンガン・スーパーオキシド・ジスムターゼ(Mn-SOD)が、候補遺伝子に上がりました。そして、ある患者家族で、すべての患者様に特異的な遺伝子多型が観察されました。しかし実は、Mn-SODは原因遺伝子そのものではなく、この原因遺伝子はこの遺伝子近傍に存在していました。しかしこれが第一の幸運な偶然でした。私は1995年に大学院生として松峯、小林智則両先生のもとに配属されました。両氏は日中の忙しい臨床を終えた後、夕方から深夜に至るまで、連日連鎖解析に取り組み、Mn-SOD遺伝子近傍のマイクロサテライトマーカーD6S305が患者特異的に欠失している別の一家系を発見しました(2)。この結果から、46本の染色体のうち、ほぼこの一点に、原因遺伝子が存在する可能性が高いことがわかりました。この時、発見までの道のりは必然に導かれるだろうと感じました。そして、当時パーキンソン病のミトコンドリアDNAの研究を進めていた服部信孝先生のグループからも共同研究の申し出があり、遺伝子クローニング・チームの陣容が整ったのです。

臨床の研究室で基礎研究に取り組むことのむずかしさを乗り越え

しかしそうは言っても、実はここまでが臨床の研究室の限界。そこで研究に専念できる立場の私が、慶応義塾大学分子生物学教室(清水信義教授)との共同研究という形で、単独で出向しました。遺伝子の単離は、すべてそこで行いました。特に浅川修一先生にゲノム解析を基本から学びました。D6S305をプローブにして、慶応大学が構築したヒトBACライブラリーをスクリーニングし、2つのBACクローンを得ました。更にこれらクローンからエキソン・トラッピング法を用いて、エキソン候補を拾い上げました。ただ、その時拾えたのはわずか。実際にそれらしいのはJ-17と名付けたものだけでした。

当初、自分の実験に問題があるのかと思いましたが、後にその理由がわかりました。とにかく当時は実験に次ぐ実験の連続。J-17をプローブに既存のcDNAライブラリーをスクリーニングし、一番長いcDNAの塩基配列を決定。そしてcDNA塩基配列とcDNAをプローブにして作成した1メガベース程のBAC整列クローンのゲノム塩基配列を比べ、エキソン・イントロン境界を決定。さらにエキソン部位を増幅する12個のプライマー・セットを設計し、患者様のDNAを解析、その欠失・変異を同定し、原因遺伝子であることを証明しました。

新しい神経疾患研究の流れ

そして、このcDNA配列をホモロジー検索にかけたとき、「ユビキチン」という言葉を初めて目にしました。その時の驚きは言葉では言い表せません。これは大変なことになる、これから神経疾患とタンパク質分解の異常が、大きな研究の流れになるかも知れないと確信したからです。このような形で誰よりも早く、この流れを確信できたことは、本当に研究者冥利に尽きます。結局、この近辺にはこの遺伝子しか存在せず、たった12個のエキソンからなる1メガベース以上の未知の巨大遺伝子であることがわかりました。ここでやっと、エキソン・トラッピングでわずかなエキソンしか拾えなかった理由が明らかになりました。結局一つの遺伝子解析で済んだので、これも幸運でした。そして、この頃から新しい遺伝子にどういう名前を付けようか考え始めました。それまでに巨大遺伝子として知られた筋疾患遺伝子ディストロフィン(2.5メガベース前後)に次ぐ大きさの遺伝子の発見。この遺伝子の名が原疾患を想起しやすく、そして何よりも、この遺伝子がパーキンソン病病因研究推進の先駆けとなってほしいとの想いから「パーキン(Parkin)」という名を提案しました。15年近く前のことですが、共著者からも同意をいただいたことを昨日のように思い出します。

こうして振り返ると、パーキン遺伝子発見の過程は、まったくゼロからのスタートであり、決して恵まれているとは言えない研究環境でありながら、見えない方向性の中でも、松峯先生をはじめとするオリジナルメンバーが熱く強い意志を持って研究を続けられたことが大きな力となりました。幸運の女神は、そんな努力を見逃さず、何度も微笑んでくれたのだと思います。

渡米、そしてパーキンソン病の病態を加速するノックアウト・マウスの作成へ

北田氏の研究拠点。郊外に病院、医学部、研究所を擁する緑豊かなGeneral Campus。ラボのルーチン・ワークでは、特に信頼のおける製品を使っています。ライフテクノロジーズ社の製品は、PCRとシーケンスでは、invitrogen®, Applied Biosystems®, TaqMan®製品、Western blottingにはNovex®、Southern/Northern blottingではAmbion®、細胞培養ではGibco®やMolecular Probes®製品など幅広く使っています。写真は、Novex®のNuPAGEゲルでタンパク質の電気泳動を行うところ。簡便に質の良いメンブレンが得られて重宝しています。

その後、私の研究生活は一旦途切れ、現在の研究への流れは渡米した9年前に遡ります(2003年)。数年の研究ブランクがあった私を、ハーバード大学Jie Shen博士(現教授)が博士研究員として採用してくださいました。彼女はマサチューセッツ工科大学の利根川進教授のもとで神経系のノックアウト・マウスの研究に従事し、独立後は世界に先駆けてアルツハイマー病やパーキンソン病のマウス・モデルを作成し学術誌に報告していました。私が渡米したとき、同僚のMatthew Goldberg氏は、すでにパーキン遺伝子のノックアウト・マウスを報告し、前年発見されたDJ-1遺伝子のノックアウト・マウスも解析途上でした。まさに驚異的な速さで、本当に驚きました。私は彼から解析法を学び、2004年に3番目の劣性遺伝型の遺伝子PINK1が発見されると、その遺伝子のノックアウト・マウス作成と解析に取り組みました。これらのマウスは共通して、黒質神経細胞からのドパミン放出の低下、ミトコンドリアの呼吸能の低下、酸化ストレスの上昇が認められました。こうした所見は、これまでパーキンソン病の病態として推測されていたものを、モデル動物のレベルで証明したことになります(3, 4, 5, 6)。さらにこの3つの遺伝子すべてをノックアウトしたマウスの解析にも取り組み、病態の加速を観察しました(7)。

カナダでの研究生活へ

そして2010年、研究が一段落し、次を考えていた時、ハーバード大学で一緒に研究し、オタワ大学に赴任したMichael Schlossmacher准教授に「カナダで臨床もやってみないか」との誘いを受けました。基礎研究に7年間従事していた私には新鮮な驚きでしたが、彼の所属するParkinson Research Consortium (PRC;オタワ病院を中心に研究者、医療従事者、患者家族などからなる組織)に参加することにしました。日本と違って、北米では国や公共機関の他、一般の方からの寄付が研究推進に大きく貢献しています。私の研究にも援助をいただいています。いろいろな手続きが必要でしたが、私は現在、研究者と神経学クリニカル・フェローという二足の草鞋を履いています。現在の研究テーマは3つです。一つ目はハーバード大学での研究を継続し、複数のパーキンソン関連の遺伝子をノックアウトし、より病態を加速させたマウス・モデルを作成すること。そしてこのマウスを使って薬剤スクリーニングを行い、新しい治療薬を開発すること。二つ目は、パーキン研究の本格的参戦です。パーキンはユビキチン・リガーゼとして報告され、パーキンの機能不全によって本来分解されるべき基質が過剰に蓄積し、その結果神経細胞死が引き起こされるという仮説が提唱されています。一方、AR-JPの病理では過剰な蓄積物が観察されないのが典型例です。私たちはこれまでのパーキン機能の概念とは全く異なる働きを想定しプロジェクトを開始しました。パーキン発見から14年目。遅れて来た新参者ですが、何とかブレーク・スルーを見つけたいと思っています。そして三つ目のテーマは、孤発型パーキンソン病で観察されるα-Synuclein(SNCA)凝集の細胞内代謝です。SNCA凝集は、細胞障害との繋がりが指摘されているので、細胞内のSNCAを減らし、細胞障害を減じる治療方法を模索中です。PRCのメンバーと手を携え、研究を進めています。

カナダの素晴らしい研究環境

日本の病院との交流。短期研修に来院された長崎大学・枡田智子先生の歓迎会。レジデントの先生方とともに。北田氏の左隣は交流の企画立案者Samuel Lapalme-Remis医師)

私が海外で研究するようになった過程は無謀で、とても参考になるようなものではありません。本来であれば、若くて柔軟な思考力と体力のあるうちに、海外で多くのことを吸収するのが良いのは当然です。しかし一点だけ、研究者の方々に留学先にカナダを入れていただきたいと強調したいと思います。カナダでの研究のメリットは、英語圏であること、米国が隣国という地の利があります。実際にオタワからボストンやニューヨークまで、飛行機で小一時間しかかかりません。共同研究は容易です。また大学の各部局で国内や米国から著名な研究者がセミナーに訪れ、とても刺激になります。世界経済の状況から、米国も含め各国の科学研究費は必ずしも十分とは言えません。しかしカナダは先進7か国の中では経済のバランスがよく、特に近年、科学研究に力を注いでいます。またカナダのトップレベルの大学、研究機関は世界大学ランキングでも上位にあり、研究力が証明されています。しかもオタワはきれいで安全な都市です。今年5月、縁あって東京のカナダ大使館で、「カナダで学ぶパーキンソン病の臨床と研究」というお話をさせていただきました。患者様やご家族、医療従事者だけでなく、若い留学希望の学生さんも参加され、カナダでの研究について質問を受けました。参加者の構成が興味深かったですね。最近、日本の留学希望者が減っているという話を聞きますが、この時は若い方々の力強さを感じました。オタワ大学の神経内科でも、日本の病院との交流が始まろうとしています。今夏、2週間ほどの予定で、日本の神経内科の先生が北米流の神経学の研修に来られました。今後も定期的に交流を続けていく予定です。

略語:
AR-JP; Autosomal Recessive Juvenile Parkinsonism, DNA; Deoxyribonucleic Acid, Mn-SOD; Manganese Superoxide Dismutase, BAC; Bacterial Artificial Chromosome, cDNA; complementary DNA


Parkinson Society Ottawa主催のParkinson SuperWalk。Fund Raisingの一環でもある。オタワには、あちこちに広くて綺麗な公園があり、家族と一緒にSuperWalk!
履歴:
1990年新潟大学医学部卒業。1999年順天堂大学大学院卒業。2003年より、ハーバード大学博士研究員、講師。2010年オタワ大学医学部Adjunct Professor。2011年オタワ病院Clinical Fellow in Neurology。現在に至る。

参考文献

  1. Kitada T et al., Nature, 1998; 392: 605-608.
  2. Matsumine H et al., Genomics, 1998; 49: 143-146.
  3. Goldberg MS et al., Neuron, 2005; 45: 489-496.
  4. Kitada T et al., Proc Natl Acad Sci USA, 2007; 104: 11441-11446.
  5. Gautier CA et al., Proc Natl Acad Sci USA, 2008; 105: 1716-1721.
  6. Kitada T et al., J Neurochem, 2009; 110: 613-621.
  7. Kitada T et al., J Neurochem, 2009; 111: 696-702.