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「いつ行く? どうする? 海外留学 Vol.5」
宮脇敦史 氏(理化学研究所 脳科学総合研究センター 細胞機能探索技術開発チーム シニアチームリーダー)
宮脇敦史氏は、留学先の米国カリフォルニア大学サンディエゴ校のロジャー・ツェーン研究室にてGFPやFRET(蛍光共鳴エネルギー移動)と格闘し、カルシウム指示タンパク質カメレオンを生み出しました。カメレオン開発にまつわるエピソードに宮脇サイエンスの根源を垣間見ることができそうです。
失敗を可愛がること
宮脇氏の担当テーマは、GFP変異体の作製およびそれらを利用したFRET技術(GFP-based FRET)の確立と応用。まずはグラント申請の計画通り、イノシトール3燐酸センサーの開発を目指しました。約半年が過ぎた1996年2月のこと、イノシトールポリ燐酸の添加でFRETシグナルが大きく変化するタンパク質をゲット。再現性を確信し早速ラボミーティングで発表。ひとかたならぬ喝采を浴びます。しかしそのわずか2日後、観測したのが偽りのFRET変化であることに気づきます。スペクトル変化の原因は、試薬に混入した蛍光物質によるもの。この失敗からゲインしたことはあまりにも多かったそうです。蛍光の感度やノイズとシグナル変化との比などを考慮して、実験の計画と方法を大幅に見直すことができたから。そして何よりも、GFP-basedFRETに対するチャレンジ精神をますます膨らますことができたから。「翌週のラボミーティングできちんと弁明を行いました。うんと日本人らしくね」。この失敗を糧に、ツェーン博士や伊倉光彦博士(トロント大学)からアドバイスを受けながら、宮脇氏はカルシウム指示タンパク質カメレオンを創り上げていきます。失敗を可愛がること̶これは今でもモットーだそうです。実は、宮脇氏はカメレオン以外に6つの開発研究テーマを同時に進めて見事に失敗させていました。いろいろな失敗を慈しみながら経験や知識を蓄え、それらをカメレオン開発研究の中で結集させていったのでした。人知れず必死だったのですね。そんな「鴨の水かき」状態はさぞかし今も続いているのだと察します。
ツェーン博士との議論
いつも多忙のツェーン博士は相変わらず捕まえるのが大変。そこで、なるべく頻繁に、実験の結果や計画などをレポートにまとめて提出しました。グラフや画像のコピーに手書きのメモを付け加えて、ツェーン博士の机の書類の山頂に置いたのです。一目でツェーン博士の興味を引くように、一目で全体の内容が理解できるように、最大限に工夫したそうです。当時はGFPの結晶構造は未知。だから発色団の電子状態の振る舞いを予測することは極めて難しく、ツェーン博士と宮脇氏の予想が相反することもしばしばでした。結果によって”You won!”とか”Neither younor I was correct!”とタイトルをつけることも。レポートを提出した翌日などにツェーン博士が”Well, Atsushi,,,”と近寄ってくると心の中でガッツポーズ。ツェーン博士との会話は、たいていの場合、挨拶抜きの議論で始まりました。「データをはさんでツェーン博士と対峙することがこのうえなく楽しくて仕方がありませんでした」と宮脇氏は回想します。
新しい潮流を生み出すこと
「自分を中心に世界が回っていると錯覚しているようではいけません。海外留学の機会に、偉大なサイエンスに触れて仰天するようなことがあればよいですね」。たしかに、海外留学はビッグサイエンスに接する絶好の機会。「でも」と宮脇氏は語気を強めて続けます。「求心力のあるサイエンスに飲み込まれるままではだめでしょう。自分を中心に世界を回そうとしないといけません。世界に蔓延る常識や標準のいくつかをくだらんと思えるようにならないと」。なるほど、思わず鳴門の渦潮を想起させる発言です。さらに宮脇氏からはこんなコメントもいただきました。「留学を云々するのに、海外を欧米あるいは先進国に限定するのはおかしいと思います。発展途上国は、生物の資源や民族の知恵と知識に関して無限の可能性を孕んでいます。英語以外に現地の言語も習得しないとだめです。国際社会学も必要に応じて学ぶことになるでしょう。海外留学の新しいスタイルを提案したいですね。いずれ近い将来に」。
宮脇敦史 氏
1987年慶應義塾大学医学部卒業、1991年大阪大学大学院医学系研究科博士課程修了、1993年東京大学医科学研究所助手、1995~1998年米国カリフォルニア大学サンディエゴ校の研究員を経て、1999年より理化学研究所脳科学総合研究センター先端技術開発グループ細胞機能探索技術開発チームリーダー、2004年より同グループディレクター、2008年より同センター副センター長、現在に至る。2006年~2012年に科学技術振興機構ERATO生命時空間情報プロジェクト研究統括を兼任。
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