「いつ行く? どうする? 海外留学 Vol.8」
藤田恭之 氏(北海道大学遺伝子病制御研究所分子腫瘍分野 教授)

「正常な細胞に周りを取り囲まれたら、素行の悪いがん細胞は仲間外れにされるのでは?」大学院生時代にふとひらめいたアイデアから、正常細胞とがん細胞の相互作用を「細胞競合」という切り口で新たな分野で切り拓く藤田恭之氏。独創的な研究を進めるバイタリティは、海外でポスドク(博士研究員)として過ごした5年間、PI(主任研究者)として研究室を率いた8年間の得難い経験の中で培われたと語ります。

大学院生時代にひらめいたアイデア
医学部卒業後、病院勤務を経験。「3年ほどでしたが、がん患者さんを助けたいという思いを強くしました」と藤田氏。その後、進学した大学院で冒頭のアイデアがひらめきます。「実験の後片付けをしない同級生を注意した時、そんなに気になるならあなたが片付ければいいと逆キレされたんです。頭を冷やそうと一人トイレへ入り、ふと『彼は研究室のがんだ』とつぶやいた瞬間、がん細胞が人間社会と同じように周囲の正常な細胞から排除される様子が目に浮かびました」。しかし当時は、分子の流れに沿ってがん化のメカニズムを研究する時代。そのアイデアを試す機会はなかなか巡ってきませんでした。

一流のジャーナルに載るような研究しか意味がない!?
研究者キャリアは、ドイツのベルリンでポスドクとしてスタート。15人ものポスドクがひしめく大所帯の研究室です。ボスのバルター・ビルヒマイヤー博士は「1年でこの中の1人か2人が成功すれば、それで十分」とパーティーで公言するような厳しい環境。「小さな成功よりも、5年に1度でいいから大きな成果を出して一流のジャーナルに論文を出すこと。それがボスの方針です。そのためにはオリジナリティの高い研究をしないと話になりません。ポスドクという、先が見えない不安の中で、人生で一番つらい時期でした」と振り返ります。それでも「ポスドク同士で飲みに行き、ボスの愚痴をこぼしたり、幅広い分野の研究を語り合うことで視野が広がり、今でも交流のあるたくさんの友人ができました」とも語ります。最初は苦労した研究も、Hakai(破壊)と名づけた新しいタンパク質の論文がNature Cell Biologyに掲載されるなど、着実に業績を上げていきます。


2005年、ロンドンの研究室で

2008年極真空手英国選手権大会
(型の部優勝)

ゼロからラボを立ち上げる
転機は偶然訪れます。「夜、電気泳動をしている間に暇つぶしにと手にとったNature誌のたまたま開いたページにPI募集の記事がありました」。80人の応募者から2人に絞られる厳しい審査を突破して、35歳でロンドン大学MRC研究所に着任。一番苦労したのは「ヒューマンマネジメント」だと断言します。文化や働くことに対する意識や考え方も違う海外の大学院生やポスドクをまとめ上げ、成果を出し続けていくためには「画一的な教育ではなく、一人ひとりに合った教育が必要」ということを痛感します。そして国籍の異なることを楽しむ活気あるラボを作り上げていきます。きちんと研究を軌道に乗せ、8年間温めてきた大学院時代のアイデアを試す時が来ます。「もっとも信頼するポスドクのキャサリンと8か月かけて実験系を組み立て、細胞の挙動をタイムラプスで観察しました。その結果には本当に興奮しましたね。がん細胞が、正常上皮細胞の集団からはじき出されていく様子が記録されていたからです」(藤田氏)。

海外で研究する人へのメッセージ
「若いときから、独立を目指して欲しい。ポスドクとして留学するだけでも成長できますが、海外でPIになると全く別の世界が広がります。実力だけの世界で、ゼロからラボを立ち上げ、人を育てた経験は大きな自信につながります」とアドバイスします。

藤田 恭之(ふじた やすゆき) 氏
1965年生まれ。京都大学医学部卒業。病院勤務、アフリカでの医師ボランティアを経験後、医学博士を取得。1997年よりドイツ・ベルリンでポスドク、2002年より英ロンドン大学MRC研究所グループリーダー。2010年より現職。


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