落谷孝広 氏 (国立がん研究センタ-研究所 分子細胞治療研究分野 分野長)

「Non-coding RNAの一種であるmicroRNA(miRNA)は、生命現象の微調整役として多くの遺伝子やタンパク質の発現制御に関わっています。こうしたmiRNAの機能解析は細胞内が主な対象でしたが、数年前、エクソソームに内包されて細胞外に分泌されるmiRNAが報告されたことで、研究の流れが大きく変わってきました」。国立がん研究センター研究所の落谷孝広氏は、新たな局面を迎えたmiRNA研究についてこのように語ります。そして「例えば、がん患者と健常者では、エクソソームの量や分泌型miRNAのプロファイリングに大きな違いがみられ、その違いががんの新たなマーカーとして診断や治療法の開発に大きなインパクトを与えつつあります」と続け、「抗体医薬に続く、核酸医薬の時代」を予測します。エクソソームという小胞に内包されることによって、分解酵素が豊富な血中でも安定なmiRNA分子。その存在が基礎研究と臨床試験の垣根を取り払い、臨床応用を目指したmiRNAの疾患関連研究を大きく加速させています。miRNA研究 に訪れた新展開を落谷氏にお聞きしました。


miRNAとエクソソームの出会い


(エクソソーム模式図) 細胞の起源によって異なるが、エクソーム中には、100から300種類のタンパク質、100種類前後のNA、そして200種類を超えるmiRNA等が内包されている。

miRNAの最初の発見は、1993年、線虫が持つlin-4でした。相補的な配列のmRNAの翻訳を阻害する低分子miRNAの機能は、線虫に特異的な現象だと思われていました。ところが2001年、同時に3つのグループが様々な生物種で約100種類のmiRNAを発見。それを契機に、miRNA研究は急速に進み始めます。そして細胞の分化や増殖、免疫、発癌など、多様な生命現象に関与していることが次々と報告されます。一方、エクソソームは、1983年にJohnstone女史が羊の網状赤血球から分泌された小胞に名付けたことが始まりです。当初は細胞内の老廃物の廃棄機構に関わると考えられていました。ところが2007年、スウェーデンのグループが、miRNAとともにmRNAやタンパク質がエクソソームに内包され、細胞外に分泌されることを報告しました。落谷氏は、「本来は壊れやすいRNAがなぜ血中に安定に存在するかを皆不思議に思っていました。我々もその論文を読んで本当に驚きました」と当時の衝撃を振り返ります。そして「エクソソーム中のmiRNAが、生体内でどのような役割を担うかを自分自身で確認したい」と研究を進めます。


細胞や個体を越えたコミュニケーションを担うmiRNA


(写真1) 小坂氏は、エクソソームによって運ばれるmiRNAが、受容細胞中で機能する事を世界で初めて発見したパイオニアの一人。がんの悪性化におけるエクソソームの役割とその治療戦略について研究中。

落谷氏は、2010年、研究員の小坂展慶氏(写真1)とともに、エクソソームによって細胞間を移動したmiRNAが受容側の細胞で機能すること、また母親の分泌型miRNAが母乳を介して乳児に伝わることを報告します。落谷氏は、「母乳のmiRNAには乳児の免疫系の成熟に関わるものが多く含まれていました。この結果から私たちは、miRNAが、細胞間、個体間のコミュニケーションを担う、とても重要な分子だということを実感しました」と当時の成果を説明します(1,2)。



核酸医薬品の開発研究へ


(写真2) 吉岡氏(左)は、現在、ライフテクノロジーズのエクソソーム分離・回収キットを使用中。「超遠心法と比べても収量が比較的高く、少量の血清サンプルの場合は扱いやすいですね」とコメントします。右は共同研究者の小西由紀氏。

すでに海外では、miRNAを標的にしたC型肝炎治療薬の臨床試験が順調に進み、miRNA創薬に特化した合弁会社も立ちあがっています。「これまで日本では先端研究をすぐに臨床や創薬に活かすことにためらいがありましたが、今後は基礎研究の成果を安全かつ迅速に臨床へ活かすことが求められます。国立がん研究センターは、厚生労働省の『早期・探索的臨床試験拠点事業』に採択され、医薬品/がん分野のトランスレーショナルリサーチを強力に推進できる環境を整えました」と落谷氏。「この事業の一環で、治療が困難なTriple negative乳がんに対するRPN2を標的とした核酸製剤治療を臨床チームとともに進める予定です」と続けます。RPN2は、落谷氏らが2008年にがん幹細胞特異的な発現を報告した遺伝子(3)。今後RPN2に対するsiRNAの効果を核酸医薬品として臨床試験で検証していく予定です。こうしたトランスレーションナル研究を進めるにあたり、重要なのは,細胞レベルでの実験と動物個体の実験の一貫性ですが、落谷氏は自身の経験から、その異なる実験系でも高い再現性を保証するAmbion®のin vivo用siRNAシリーズの有用性についてもコメントされました。「また難治がんプロジェクトでは、これまで骨肉腫の予後はプロテオームやマイクロアレイによるmRNA解析では困難でした。しかしmiRNAで予測できる可能性があります。今後特定のmiRNAをバイオマーカーに、治療方針をサポートできるか検証していきたい」と続けます。さらに落谷氏は、特定の疾患だけでなく、幅広く疾患研究の基礎となる技術開発にも取り組み、研究員の吉岡祐亮氏(写真2)とともにエクソソーム自体を新たなバイオマーカーとする診断技術の開発を進めています。がん細胞の分泌するエクソソームが「がんの浸潤や転移」に深く関与しているという報告が世界中で相次ぐ中、こうした独創的な研究が数々の新しい発見につながる事が期待されます。


miRNA/エクソソーム研究から広がる世界

miRNAとエクソソームの関係は発見から数十年を経て明らかとなり、これまで予想だにしなかった斬新な医学研究を進める原動力なりつつあります(4-6)。標的mRNAに対して、完全に一致した配列として合成されるsiRNAと異なり、miRNAは標的側の結合部位の配列と必ずしも一致する必要はありません。ですから1:1で不可逆的にmRNAを分解するsiRNAに対して、miRNAは複数のmRNAの「微調整」に関わっています。「生体内におけるmiRNAの微妙なバランスを、健康状態のバイオモニターとしても利用できるかもしれません。例えば唾液中のエクソソームでmiRNAの組成を調べ、その日の体調管理をするなど。診断や治療だけでなく、病気の予防や健康に役立つ研究にも力を入れていきたいですね」。落谷氏は、さらに広がるmiRNA研究の未来を見つめています。


参考資料

  1. microRNA as a new immune-regulatory agent in breast milk.
    Kosaka N. et al. Silence 1(1):7(2010)
  2. Secretory mechanisms and intercellular transfer of microRNAs in living cells. Kosaka N. et al. J Biol Chem. 285(23), 17442-52(2010)
  3. RPN2 gene confers docetaxel resistance in breast cancer.
    Honma K et al. Nat Med.14(9):939-48(2008)
  4. 実験医学 vol 29, no 3, 2011 ヒトの誕生,老化,疾患を運ぶエクソソーム(落谷孝広 企画)
  5. 遺伝子医学MOOK23 2012, 臨床・創薬利用が見えてきたmicroRNA(落谷孝広 監修)
  6. 細胞工学 vol 32, no 1, 2013, 疾患エクソソーム(落谷孝広 監修)

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