榊 佳之 氏 (国立大学法人 豊橋技術科学大学学長)

1990年に開始されたヒトゲノム計画は、2001年2月の概要版発表を経て、2003年4月に解読終了。その時、6カ国の首脳と研究代表者は協同で解読完了を宣言しました。榊佳之氏は、日本代表として国際プロジェクトに参画し、21番染色体の解読を始め、ヒトゲノム計画に大きく貢献しました。DNA Anniversary記念インタビュー第一弾は、ライフサイエンス分野で初めてのプロジェクト型研究を推進した榊氏に、お話を伺いました。

研究者になったきかっけは何でしょうか?
父が研究者だったことや、熱心な高校の化学教師の影響で東京大学理科一類に進学しました。大学では生化学者の江上不二夫先生と出会い、研究への興味を抱きました。先生との出会いは大切ですね。決定的だったのは、大学時代に書籍部で何気なく手にした、ジャコブの「大腸菌の性と遺伝」(岩波文庫)という本。実験を重ね、データを丁寧に検討し、オペロン説を打ち立てていく、不屈の研究者の姿に魅了されたんです。そして遺伝子こそ生命の本質、その研究こそが私の進むべき道と確信しました。

研究人生のマイルストーンをあげるとすれば何でしょうか?
アメリカ留学で分子生物学、分子遺伝学を学び、帰国して数年後の1977年に九州大学の医学部へ異動したことが大きな転機でした。私は理学部の出身で、科学へ好奇心も強かったのですが、医学部で臨床応用を見据えた遺伝子の研究に取り組んだことで、病気と向き合い、人のために研究するという強い使命感が生まれました。それがヒトゲノム解読プロジェクトへの参画にもつながったと思っています。ヒトゲノム解読完了宣言も、マイルストーンの一つですね。

10年前の研究者としての思い出を教えてください。
もちろんヒトゲノム解読完了です。日本の研究者は、ヒトゲノム解読の重要性を早くから提唱していましたが、なかなか進まずにいました。それでも国際協力の体制を整え、バミューダー会議で情報公開の原則を確認し、国と交渉して大型予算や解読コアセンターを設置する等、多くの関係者と協力して様々な困難を乗り越えました。ヒトゲノム解読は、ライフサイエンス分野で初めてのプロジェクト型研究であり、それを経験できたことは本当に幸運でした。

科学や技術の進展を踏まえて、数十年後の未来をどう予測しますか?
DNAの二重らせん構造発見から60年、PCR法開発から30年ですよね。この数十年の変遷を体験した身として、未来予測はとても難しい。これから食糧・エネルギー・環境は避けて通れない問題となってくるでしょう。ただ一つ言えることは、科学における技術開発の重要性は、さらに増していくということです。振り返ると、1986年のアプライドバイオシステムズの自動DNAシーケンサの開発や、それに続く1998年の日立の技術を採用したハイスループットシーケンサの開発は、ヒトゲノム解読を計画通りに終了できた要因の一つでした。これからも技術開発と科学の進歩が、同調する時代が続きそうです。精緻な技術で細胞一個から発生や分化の分子機構を解明したり、合成生物学の手法で有用な微生物を創出するなど。時代が抱える問題を解決できる、科学と技術がさらに強く求められていくと思います。

榊 佳之(さかき よしゆき): 1942年愛知県生まれ。1971年東京大学大学院理学研究科博士課程修了(理学博士)。1985年九州大学教授、1992年東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター長、2004年理化学研究所ゲノム科学総合研究センター長等を経て、2008年より現職。2002~2005年まで、HUGO(国際ヒトゲノム機構)会長。2005~2011年まで日本学術会議会員、2003年紫綬褒章受賞等。


参考資料

  • "The DNA sequence of human chromosome 21" Nature405, 311-319, (2000) Hattori M,et al.
  • ジャコブとウォルマン「細菌の性と遺伝」岩波書店 富沢純一・小関治男訳(1963)