定量的プロテオミクスは、創薬/標的プロテオミクス解析に有効な手法であり、細胞/組織/生物中のプロテオームダイナミクス全体を把握することができます。標準的な定量的プロテオーム解析法では、実験サンプル中のタンパク質やペプチドを同位体標識することにより、標識サンプルと区別して質量分析を行う手法が利用されます。相対定量法(SILAC、ICAT、ICPL、アイソバリックタグなど)では、各サンプル間においてタンパク質やペプチドの存在量に関する比較を行います。また、既知濃度の同位体標識合成ペプチドを非標識サンプルにスパイクすることによって、標的ペプチドの絶対定量が(SRM法により)可能になります。また、相対定量法または絶対定量法いずれにも非標識戦略が適用できます。こうした戦略は、単にタンパク質同定を行う場合より複雑です。それでもタンパク質発現全体や、生物学的プロセス、疾患状態の分子機構を把握するためには、定量的プロテオミクスが不可欠です。

本ページの目次

  • 定量的プロテオミクスの概要
  • 創薬と標的プロテオミクスの比較
  • 相対定量と絶対定量の比較
  • 非標識戦略
  • 代謝標識
  • 同位体タグ
  • アイソバリックタグ
  • 選択的反応モニタリング(SRM)と標的アッセイ開発

定量的プロテオミクスの概要

生化学的プロテオミクス研究の初期段階では、各タンパク質またはタンパク質複合体の有する機能を識別および把握することに重点が置かれていました。数十年前には単一サンプル中で数百個程度のタンパク質しか解析ができませんでしたが、実験機器類の技術的進歩によって現在では数千個程度まで解析が可能になりました(1)。こうした高度な解析法によって、細胞・組織・生物体レベルで包括的なタンパク質ダイナミクスの研究が行えます。このタイプの手法は、ゲノミクス・トランスクリプトミクス・メタボロミクス・キノミクスといった生命科学分野で用いられる分析と同様に、生物学的プロセスを包括的に理解することや、疾患状態の変化や種々の刺激に対する応答プロセスに関する理解をより深めることに役立ちます。

プロテオーム解析によって、細胞中や生物学的サンプル中の数千個のタンパク質の同定や定量化が行われます。とはいえタンパク質の性質は動的かつ相互作用的であることから、定量的プロテオミクスは単にサンプル中タンパク質を同定する場合よりも極めて複雑なプロセスを取ります。しかし定量的プロテオミクスでは膨大なデータ量を取得できるため、包括的なタンパク質動態や生物学的プロセスの分子機構を解明するためにはこの手法が不可欠となります。

現在プロテオミクス解析には、2種類の基本方式があります。トップダウン・プロテオミクスでは、インタクトなタンパク質または大きなフラグメントをイオン化させて、質量分析(MS)を行います。ボトムアップ・プロテオミクスは、タンパク質サンプルのタンパク質分解消化により生成されるペプチドをベースとしています。トップダウン・プロテオミクスにはタンパク質のサイズに制限(<50kD)があるため、ボトムアップ・プロテオミクスがより一般に採用されています。

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サンプル中には膨大な数のプロテオタイピックペプチドが存在するため、一回のMSで分析できるのはサンプル中の全ペプチドのうち小サブセットのみです。そのため同定可能なサンプル中のタンパク質数は制限されます。一回の実験で試験した全サンプル中でタンパク質が同定される必要があるため、定量化に有効なタンパク質数はさらに制限されます。事実上、定量化のリニアダイナミックレンジは、機器感度やサンプルの複雑性(定量的プロテオミクスの範囲にも影響する)に応じて、通例10〜20分の1に制限されます、

Peptide Availability for Quantitation-430px定量的プロテオーム解析に有効なタンパク質は限られています。タンパク質存在量とサンプルの複雑性は目的タンパク質の質量分析定量が行えるかどうかを左右する重要な因子です(3)。

同定率や定量率はサンプルの複雑度に対して比例関係にあるため、ペプチドの定量化にはサンプルの複雑性が大きく影響します。通常、アフィニティー精製などの手法によって、アバンダントなタンパク質を除去し、サンプルの複雑性を低減させます。またインライン液体クロマトグラフィー法(LC)も標準的なMS前分画法であり、ペプチドを化学的分離させることによりサンプルの複雑性をさらに低減させます。

一般に定量的プロテオーム解析は、MSに基づいて選定ペプチドの同定や定量化を行います。ただしペプチドを同定するには、タンデム質量分析(MS/MS)の実行が必要となります。初回のMS (MS1)においてイオン化ペプチドをサンプリングして、サンプル中の全イオン化ペプチドのプリカーサイオンスペクトルを生成させます。そして各イオンを選択的に衝突誘起フラグメンテーション(CID)に適用し、2回目のMS (MS2)を実行すると、各プリカーサイオンに対してフラグメントイオンスペクトルが生成されます。これらのフラグメントスペクトルをペプチドのデータベースに対して比較し、特定のペプチド配列を割り当てた後、タンパク質配列予測します。

Proteomics Identification Workflow-700pxMS/MSによるプロテオーム解析の概要。サンプルタンパク質を抽出して、ペプチドに消化させました(A)。その後、必要に応じてサンプル複雑性を軽減させてからLCによる化学的分離を行います(B)。そして、ペプチドをイオン化させ、プリカーサイオンスペクトルを生成させるために質量対電荷比(m/z)を測定する際に、画分(上図中の点線矢印)をMS分析します(C)。その後衝突誘起解離(CID)によって選定イオンを断片化させます。またMS測定によって、各フラグメントイオンの測定を行います(D)。そしてデータベース比較に基づいて、フラグメントイオンにペプチド配列を割り当て、タンパク質配列を予測します(E)。

創薬と標的プロテオミクスの比較

プロテオーム解析の感度と範囲を改善する戦略は、通例大量のサンプルと多次元画分を必要とするためスループットが落ちてしまいます。また、タンパク質定量化における感度やスループットを向上させようとすれば、モニターできる数が制限されます。このため通常プロテオミクス研究は、創薬プロテオミクスと標的プロテオミクスの2つに分類されます。創薬プロテオミクスは、各サンプルにより長い時間かけて取り組みながらタンパク質同定を最適化させ、分析対象のサンプル数を減少させます。対照的に標的プロテオミクス戦略は、モニター対象の数を制限した後に、クロマトグラフィー法・機器調整・取得法などを最適化します、その結果、数百から数千個のサンプルに対して卓越した感度とスループットが実現されます。

ProteomicsConflict-380px創薬プロテオミクスと標的プロテオミクスにおける範囲・感度・スケーラビリティのバランスを示した図。創薬プロテオミクスの広範な性質や感度に起因して、数百から数千個のサンプルを総合的に分析するには限界があります。対照的に標的プロテオミクス解析はペプチドの各サブセットを定量化するため、数千個のペプチドサンプルも最高感度で分析が行えます。

創薬プロテオミクス実験は、広範なダイナミックレンジにわたり極力多くのタンパク質を同定することを意図しています。また通例この実験では、以下が求められます:極めてアバンダントなタンパク質の除去;関連成分の濃縮(例:細胞内要素やタンパク質複合体);サンプル複雑性を低減させる分画(例:SDS-PAGEやクロマトグラフィー)。これらの戦略は、画分中の成分間のダイナミックレンジを低下させることができます。またイオン化やMS手順のサイクル時間において、タンパク質/ペプチド間での競合を低減できます。定量的な創薬プロテオミクス実験は、多数の分画サンプルに対してタンパク質レベルの同定および定量化を試みるというさらなる課題も伴います。

標的プロテオミクス実験は、通例百個未満のタンパク質定量化の用途に向けた設計となっており、精度・感度・特異性・スループットなどが非常に優れています。実際に標的プロテオミクス実験法では、通常サンプル調製量を最小限に抑えることによって精度とスループットが向上します。標的MS定量戦略は、包含リストや選択反応モニタリング法(SRM)/多重反応モニタリング法(MRM*)による直接シーケンシング法などの特殊なワークフローや機器を使用します。そのため、数百から数千個のサンプルに対して、限られた機能の特異性と定量化が向上します。

主に創薬プロテオミクスは、サンプル中タンパク質のリスト化や、複数サンプル間でのタンパク質存在量の差異検出の用途に利用されます。一方、標的定量プロテオミクス実験は、複合サンプル中のタンパク質や代謝物を定量化するために、製薬や診断の目的に利用されるケースが増えています(1)。また、通例創薬プロテオミクスの後にターゲットプロテオミクスを実行することによって、創薬スクリーニング時に発見された特異的タンパク質の同定を行います。

各質量分析計はそれぞれの特性に応じて、創薬/標的プロテオミクスいずれかに適しています。例えば、創薬プロテオミクスは少数サンプル中ペプチドの完全な同定に重点を置くため、Orbitrapやフーリエ変換・タンデム飛行時間型(TOF/TOF)等の質量分析計などの高解像度機器を用いて、分質量電荷比(m/z)の差異によりペプチドを最大限に検出します。対照的に標的プロテオミクスは、感度とスループットを強化しているため、トリプル四重極/イオントラップ型/四重極型TOF (QTOF)/Qトラップなどの質量分析機器が使用されます。


相対定量と対絶定量の比較

質量分析法は、本質的に定量的ではありません。これは、各タンパク質分解ペプチドの物理化学的性質がそれぞれ大きく異なるため、同様に各質量分析時の応答も異なることに起因します。また質量分析計は、サンプル中のペプチド総量のうちわずかな量しかサンプリングしません(3)。そのため、相対/絶対プロテオーム定量を行うための様々な手法が開発されています。

相対定量戦略では、サンプル中の各ペプチドレベルを、同一(ただし実験に基づいて修飾された)サンプル中のペプチドレベルに対して比較を行います。ある相対定量法では各サンプルを個別にMS分析してスペクトルを比較することにより、単一サンプル中のペプチド存在量について、別のペプチドに対して相対的測定を行います(これは、非標識定量戦略と同様のアプローチ法です)。

内部標識/同位体標識の標準物質を用いて、質量分析計で同一タンパク質を分離サンプルから識別する手法は、非常に高価なうえ処理時間も長くなります。同位体標識を用いた標準的な相対定量実験は、(標識アミノ酸または細胞培養成分を介して)2つの実験サンプル(重同位体/軽同位体の原子)由来のタンパク質またはペプチドの標識を行います。この結果、2つのサンプル中のペプチドはアイソトポログ(同位体組成のみ異なる同一分子)となります。化学的処理または遺伝子操作により実験群のプロテオームが変更された後、両集団由来の等量タンパク質を混合します。その後LC-MSまたはLC-MS/MSにより、このタンパク質の分析を行います。重/軽ペプチドの両形態は化学的に同一であるため、LCプレ分画時に同時溶出します。つまり、MS分析中に同時に検出が行えます。その後、重/軽ペプチドの各ピーク強度を比較して、サンプル中のペプチド存在量の変化を(別サンプル中のペプチド存在量の変化に比較して)測定します。タンパク質やペプチドの同位体標識法としては、生細胞の代謝標識法、また、抽出されたタンパク質やペプチドの酵素標識法/化学標識法などが挙げられます。

同位体ペプチドを用いた絶対プロテオミクス定量法は、標的ペプチドの合成された重いアイソトポログ(既知濃度)を、実験サンプルへスパイクさせた後、LC-MS/MSによる分析を行います。同位体標識を用いた相対定量法と同様に、同等の化学のペプチドが共溶出し、MSにより同時分析を行います。ただし相対定量法と異なり、実験サンプル中の標的ペプチド存在量を重ペプチド存在量と比較し、測定済み標準曲線を用いて初期標準濃度に逆算することによって、標的ペプチドの絶対定量が得られます。


相対/絶対定量戦略の適用ケース

タンパク質の相対的変化の測定のために異なるサンプル由来の絶対ペプチド値についても比較されることから、絶対定量法は相対定量法よりも明らかに理想的と言えるでしょう。とはいえ、各目的タンパク質の絶対定量には高価な試薬や手間のかかるアッセイ開発が伴うため、相対的プロテオミクス定量が絶対定量よりも一般的に利用されています。

特定の実験的バイアスによって、相対/定量いずれか適用する戦略を決定する場合もあります。質量分析計自体もバイアス供給源の一種であり、高ダイナミックレンジのサンプル中の低存在量ペプチドを検出する能力が制限されます。また質量分析計の衝撃係数は限られているため、単位時間あたりの衝突回数が制限されます。この結果、複合プロテオミクスサンプルのアンダーサンプリングに繋がります(2)。また、実験間や1実験中の各サンプル間におけるサンプル調製の差異も、バイアスの供給源となります。標識化やサンプル混合までに工程数が多いほど、実験バイアスの発生リスクも高まります。例えば代謝標識時には、動物生体内や増殖細胞中にタンパク質が標識され、その直後にサンプルどうしを混合します。後続のサンプル調製と分析は必ず混合サンプルを用いて実行するため、代謝標識法は実験変動のリスクが最も低くなります(3)。対照的に、非標識定量戦略で個別に処理/分析されたサンプルは、サンプル変動や実験バイアスのリスクが高くなります。

Quantitative Protomics Workflows-700px定量的プロテオミクスのワークフロー概要。LC-MS分析でサンプルを同位体標識(青は「軽同位体」、赤は「重同位体」をそれぞれ表す)する各ワークフローのポイントを、上図に示しました。非標識定量はこの例外であり、様々な手段(スペクトル計数やピーク強度)で個別にサンプル分析やデータ比較を行います。代謝標識は、タンパク質のin vivo同位体標識と特徴付けられます。代謝標識後、定量分析のためにサンプルを混合/処理します。同位体または同重体いずれのタグを用いた場合も、標識前にタンパク質抽出を行います。ただし同重体タグを使用すれば、LC-MS/MS分析によってペプチド断片イオンスペクトル(ペプチド同定に使用可能)がMS1で生成されます。そしてMS2では、切断タグスペクトル(相対定量に使用可能)が生成されます。また既知量の重ペプチドを非標識サンプルにスパイクさせ、重ペプチド標準曲線を用いて絶対定量を行います。代謝標識ワークフローの初期にサンプルの標識と混合を行うため、この手法は実験バイアスのリスクが最も低くなります。対照的に、非標識定量ワークフローは非標識サンプルの分析を個別に行うため、バイアスを回避するため厳密な操作を行う必要があります。

非標識定量

非標識の相対/絶対定量法はいずれも、定量的プロテオミクス法の代替として開発された手法であり、低コストかつ迅速に処理が行えます。この戦略は、臨床スクリーニングやバイオマーカー発見実験における大規模なサンプル分析に最適です(17)。またこの戦略はタンパク質発現の大規模な変動の解析には適していますが、小規模な変動の解析については信頼性が低く、リニア定量測定の対応範囲(< 2桁)が限定されます (18)。

他の定量法と異なり、各非標識サンプルを個別に収集/調製/分析(LC-MSまたはLC-MS/MS)します。このため非標識定量実験は、実験変動を排除するため、安定同位体法よりも入念な操作が求められます。タンパク質定量を実行する際は、イオンピーク強度またはスペクトルカウントいずれかを適用します。

イオンピーク強度による相対定量は、LC-MSのみを分析法として適用します(MS/MSは一切適用しない)。全てのイオンについて直接MS m/z値が検出され、特定時点におけるシグナル強度が記録されます。エレクトロスプレーイオン化のシグナル強度はイオン濃度と高度に相関するため、このピーク強度からサンプル間の相対的ペプチドレベルを直接測定できることが報告されています(19,20)。この実験では大量のデータ収集を行うため、イオンピークのアライメント処理や比較分析を自動実行するには優れたなコンピュータアルゴリズムが求められます。

スペクトルカウントによる非標識相対定量では、複数サンプルにおける所定ペプチドのMS/MSスペクトル合計値の比較を行います。これは、タンパク質存在量と直接相関することが明らかとなっています(19)。ピーク強度による定量法とは異なり、スペクトルカウントは特殊なアルゴリズムやツールを必要としません。ただし、大幅な標準化を行う必要があります(21,22)。

サンプル中タンパク質の絶対濃度は、相対定量法だけでなく、非標識法でも測定が可能です。また、修飾タンパク質の存在量指数(emPAI)を指数関数的に測定する手法もあります。この手法では検出されたペプチド数や、各タンパク質に理論的観測されたトリプシンペプチド数に基づいてタンパク質存在量を推定します。これにより、大規模プロテオーム解析でタンパク質の絶対的存在量の近似測定を行います(17,23,24)。さらに、スペクトルカウントに基づいた「タンパク質の絶対的発現(APEX)」による手法では、補正係数を用いることによって、観測したペプチド数にタンパク質存在量を相関させます。


代謝標識

この種のin vivo標識法には様々な方式があり、所要標識レベルも考慮した上で標識方式を選択します。相対的プロテオミクス定量の代謝標識について最初に報告を行ったOdaらは、N標識の過硫酸アンモニウムのみを窒素源15として用いて、培養液中で酵母を増殖させるによって、酵母内の全てのアミノ酸を重窒素(15N)で均一に標識しました(4)。

この手法は、哺乳動物細胞株に適用する目的で、Mannらによりさらに開発が進められました。彼らによって細胞培養液中アミノ酸による安定同位体標識法(SILAC)が報告されており、現在SILACは最も一般的なin vivo同位体標識法となっています(5)。重窒素を用いた全アミノ酸の標識法とは異なり、13C6-リジンおよび/または13C6-アルギニンを含有する増殖培養液中で細胞培養を行います。トリプシン(MS分析におけるプロテオタイピックペプチドの生成用の優勢酵素)が、リジン/アルギニンのC末端で切断することから、これらのアミノ酸が適用されました。したがってSILAC培養液中で増殖させた培養物由来のトリプシンペプチド(C末端ペプチド以外)は、標識アミノ酸を少なくとも1つは必ず有しています。そのため、標識サンプルは非標識サンプル(もしくは同一サンプル)よりも質量が増加します。

代謝標識戦略は、他の定量化法よりも多くの利点があります。一つには、6~8パッセージ後の不死化細胞株中でタンパク質の90%以上に同位体を導入することが可能です(5)。MS分析用のサンプル調製前に重/軽サンプルどうしを混合するため、処理誤差による定量バイアスレベルが低くなります。このような重要な特性を備えた代謝標識は、タンパク質レベルや各実験条件間の翻訳後修飾に関する小規模な変動の検出に極めて有用です。

SILAC workflow-450pxSILACのワークフロー。

SILAC法は、一部の細胞により高濃度アルギニンがプロリンへ転換されるといった欠点があります。重いアルギニン標識の場合、重アルギニン/重プロリン標識のペプチドを提示する2種類のピーククラスタが生成されます。この問題点に対処するには、定量計算による重プロリンの算出、もしくは培養液中の重アルギニン濃度の滴定などを行うことによって、転換が検出できる閾値まで下げます。増殖の困難な細胞株や、培養液組成変化に対して極度に過敏な細胞株には、代謝標識法が適用できない場合があります。また、重質化合物を取り込む目的で増殖条件を変更した場合、代謝標識法により生物体の機能が妨害される可能性があります(6)。結論として、リジンやアルギニンに組み込まれる重同位体数は限られているため、代謝標識法では各実験の実験条件数が制限されます。例えばSILAC法は、最大3つの実験条件(非標識アミノ酸、13C6-標識アミノ酸、および13C6 15N4-標識アミノ酸)で実行が可能です。


同位体タグ

臨床サンプル(例:生体液、組織サンプル)を分析する場合や実験時間が限られている場合など、代謝標識法に対応しないサンプルについては、化学的/酵素的な安定同位体標識法による定量的プロテオーム分析が行えます。この戦略では、ペプチドやタンパク質へ同位体原子や同位体コードタグを添加します。下記にて、同位体標識法の標準方式をいくつかご紹介します(ただし、以下に記載しない標識法も存在します)。

18Oによる酵素標識は、トリプシンのタンパク質分解機構を活用して、H218O由来の2つの重酸素原子を新たに消化された各ペプチドC末端へ組み込みます(7)。この標識スキームにおいて、サンプルには、トリプシンと18O水で消化させるタイプ、また16水で消化させるタイプがあります。消化後にサンプルを混合して、MSによる相対プロテオーム解析を行います。この手法は実行がしやすい反面、2つのサンプルの混合時に18Oと16Oの逆転換が緩徐であるため、標識が不完全であったり、ペプチドが単一の重酸素原子でしか標識されないといった欠点も伴います。1~5%のギ酸を添加すれば最長24時間以内にこの逆転換を減衰させられますが、この手法で標識したサンプルについては迅速に処理する必要があります(8)。

また、包括的内部標準法(GIST)と呼ばれる酵素同位体標識戦略は、N-アセトキシシンイミド(NAS) などの重水素化(2H)アシル化剤を用いて、消化ペプチド上の第一級アミノ基を標識します(9)。しかしこれらの基をアシル化すると、ペプチドのイオン状態が変化し、C末端リジンを有するペプチドのイオン化効率に影響を与える可能性があります(10)。さらに、重水素で標識する同位体法は、重水素が固定相(例:C18)とわずかに相互作用するため、LC中で重/軽ペプチドどうしが部分的に分離します。こうしたペプチドのひとつが別のペプチド(イオン化を阻害する)と一緒に共溶出し得るため、こうした差異によって内部標準の信頼度と精度が落ちる可能性があります。

安定同位体をジメチル化させる手法は、迅速かつ比較的安価に行える化学標識法です。この標識法は重水素化ホルムアルデヒドを用いて、第一級アミンを重水素化メチル基で標識します(10)。GISTとは異なりこの標識法は、還元的アミノ化が起こるため、標識ペプチドのイオン状態が変化しません。その結果、非標識ペプチドと同一の化学的性質が維持されます。

ホルムアルデヒド固定に対応するサンプルが多種多様に存在するため、この標識法は他の標識試薬よりも安価かつ迅速に処理が行えます。この手法は他の標識法と同様に、包括的な標識特性を有しているため長所もあれば短所もあります。つまり他の標識戦略が適正に作用しないケースではこの高度な標識戦略は有用ですが、この標識戦略は(生物学的サンプルの複雑性を低減させ、MSで検出されるピーク数を最小限に抑えるため)比較的高純度なサンプルの使用/調製が求められます。

市販の同位体標識試薬には、種々架橋剤の特異性に対応した多様な反応基、また様々なアイソトポログ分離用途の重標識が揃っています。


同位体コードアフィニティータグ(ICAT)法は、サンプル複雑性を低減させ、複合サンプル中の低存在量タンパク質やペプチドを同定することを目的として開発されました。元来ICATタグには、スルフヒドリル反応性の化学架橋基が含まれていました。この架橋基は、8倍の重水素化(d8;非標識ペプチドの分子量に8 Daを追加)、または軽(d0)リンカー領域とビオチン分子を持っています。スルフヒドリル反応性化学基が存在するため、システイン残基上の遊離チオールのみがこのタグで標識されます。標識後にサンプルを固定化アビジンへ通過させると、ビオチンタグに結合し、サンプルから標識ペプチドが精製されます。ペプチドは必ずしもシステイン残基を有するわけではないため、この標識法では包括的に標識されません。つまりこの標識法は、サンプル複雑性の低減化に特化した手法と言えます。ペプチドの標識後、固相化されたアビジン/ストレプトアビジンレジン担体を用いて、カラムクロマトグラフィーによりペプチドをサンプルから溶出させます。精製後、重 (d8)/軽 (d0) サンプルどうしを結合させ、LC-MSで相対定量分析を行います。


ICAT Labeling-700pxICAT標識/定量の概要。A.タグは、スルフヒドリル反応性部分から構成されています。この反応性部分は、重いタグを作製するために、重水素または13 C置換を有するリンカー領域に結合されています。ビオチンをリンカー領域に結合させて、標識ペプチドをアフィニティー精製します。B. 定量前のLC-MSによってサンプル複雑性が低減しないうちに、ICATタグペプチドを精製します。

この手法は、システイン残基のみがタグ付され標識ペプチドがアフィニティー精製されるため、サンプル複雑性が大幅に低減します。そのため、この手法は複合サンプルに適しています。ICAT標識法は、システイン残基を欠いたタンパク質やペプチドに対してバイアスがあります(リジン残基を欠いたタンパク質に比べて、バイアスが非常に高くなります)。例えば、14%の大腸菌(E. coli)のオープンリーディングフレーム(ORF)はシステインをコードしない上、わずか0.8%ではリジンをコードしません(ただしこれらの半数については、末端アミンが存在するため、タグ付けが可能)(12)。定量的プロテオーム解析に用いる適正な同位体標識法を決定する際には、こうしたアミノ酸有効性の違いを考慮する必要があります。最初のICAT試薬の開発グループにより、後年ICATタグが開発されました。ICATタグは、LC時に発生する部分的ピーク分離の問題を回避するため、重水素の代替として13Cが含有されています。

ICAT 標識ペプチドをアフィニティー精製すれば、サンプル複雑性は10分の1へと低減します。ただしシステイン特異的標識法を用いても、タンパク質配列カバー率を同一因子により低減させることが可能です(13)。こうした制限を克服するため、同位体コードタンパク質標識法(ICPL)が開発されました。このICPL法では、重(d4)/軽(d0)いずれかのタグを用いて、リジン残基やインタクトなタンパク質上の有効なN末端を同位体標識します。ICPL法は、システイン残基よりも有効な末端アミノ基が多いため、標識レベルが向上します。またICPL法は、タンパク質レベル(消化前;電気泳動またはLC)あるいはペプチドレベル(消化後;LC)いずれにもサンプル複雑性を低減できるため、MS前の分画を他の標識法よりも高度に行えます。またICPL法は、2つの重タグ(d7とd3)および軽タグ(d0)を用いて、1回の実験につき3つの実験条件を同時に比較できます。ICPL法はこうしたマルチプレックス機能の観点から、ICAT法や上記の標識法とは異なります。

同重体タグ

同重体タグはLC溶出時に分離し得る同位体タグとは異なり、共通の質量/化学的性質を有しているため、重/軽同位体を共溶出させることができます。共溶出後、MS/MS時の衝突誘起解離法(CID)によりタグをペプチドから切断します(このタイプの定量的プロテオーム解析時に必須です)。実際、このタグは元来「タンデム質量タグ」と呼ばれていたことから明らかなように、タンデム質量分析に使用されていました(6)。CID後、ペプチド断片イオンの配列決定分析と同重体タグの定量化を行います。つまり、ペプチドの同定と相対定量が同時に行われます。またMS/MSは同重体タグの検出に必要なため、非標識ペプチドは定量化されません。

TMT structure-300pxタンデム質量タグの構造。同重体タグは13Cおよび15N置換体を有しているため、各タグの質量は様々に異なります。タグ質量に応じて、リンカー部分の質量を変更することで、こうした差異をノーマライズして全体の質量をそろえます。上図はアミン反応性部分であるN-ヒドロキシスクシンイミドを例に挙げていますが、スルフヒドリル-反応性基を用いてもシステインの標識は可能です。

同重質量タグにはマルチプレックス機能といった利点があるため、このタグを用いればスループットが向上する可能性があります。市販の同重体質量タグ(例:TMT*、iTRAQ*)を利用すれば、4、6、8, 10個までの生物学的サンプルの同時分析が可能です。メーカーごとに使用するタグが厳密には異なりますが、総じて同重体質量タグ試薬の基本成分は、質量レポーター(タグ) から構成されています。質量レポーターの持つ13C置換(質量基準物質)による 固有質量の差を、リンカー部分の質量ノーマライザーによって全タグ質量を均一にしています。同重体質量タグは、第一級アミンまたはシステイン(各使用製品により異なる)に架橋する反応性部分も有しています。同重体質量タグは、質量タグが高エネルギーCID(HCD)時に特定リンカー領域で切断される設計となっており、様々なサイズのタグが得られます。タグの切断後LC-MS/MSで、タグの比較定量化を行います。また同重体質量タグもタンパク質標識の用途に使用できます(ICPL法に類似)。また一部の市販キットは、スルフヒドリル反応性を有する同重体質量タグや、LC-MS/MS前のシステインタグペプチドのアフィニティー精製用の抗TMT抗体を取り扱っています。

Isobaric Workflow TMT-700px多重プロテオミクス定量化の例図。サンプルを各質量タグで標識した後、LC-MS/MS分析を行うためにサンプルどうしを混合します。全てのタグは一律の質量であるため、種々サンプル由来の同一ペプチドが共溶出します。その後、溶出したペプチドのMS分析を行います。HCD誘発タグを切断し、再度MSを行った後、タグを用いて相対的ペプチド強度を定量化し、タンパク質同定のためにペプチド断片イオンの配列決定を行います。

選択反応モニタリング(SRM)とターゲットアッセイ開発

選択反応モニタリング(SRM)/多重反応モニタリング(MRM)は、ターゲットプロテオミクス分析における絶対量測定法;absolute quantitation(別称:AQUA法)です。SRMとMRMは、安定同位体標識の合成ペプチド(特定ペプチドの内部標準として作用)を用いて、複合サンプルのスパイクを行います(15)。この重ペプチドは設計上、サンプル消化時に生成されるトリプシンペプチドと同一のペプチドとなっており、標的ペプチドと一緒に共溶出します。次いで、溶出したペプチドを同時にMS/MS分析にかけます(広範なダイナミックレンジの計測器を使用)。分析後、標的ペプチドに観測されたシグナル応答を測定(重ペプチドのシグナル応答に対する比較測定)することにより、標的ペプチド濃度を測定します。標的ペプチド濃度は、所定のキャリブレーション応答曲線から算出します。この手法では、わずか1つのサンプル中からペプチド絶対濃度が得られますが、サンプル中の各標的ペプチドについてキャリブレーション曲線を作成する必要があります。

SRMプロテオーム解析において、アッセイデベロップメントが重要になります。まず各標的ペプチドについて重ペプチドを合成する必要があります。またタンパク質により、種々の電気化学的特性を持つペプチドが多数生成されるため、最良結果が得られる重ペプチド配列を特定する必要があります。関連ソフトウェアを利用すれば最適なトリプシンペプチド配列を予測しやすくなる反面、ペプチド同定および機器類の最適化の手順には試行錯誤が伴うため、同位体ペプチドを用いた絶対定量法は手間やコストがかかります。とはいえアッセイを所定セットのペプチドに最適化すれば(1回のLC-MS実行あたり、最大約200個のペプチド;15)、SRMは、複数サンプル中のペプチド検出法において、最高レベルの再現性と感度が得られます。この手法は、未分画ライセート中の細胞1個あたり50コピー未満の濃度でタンパク質を検出できることが報告されています(16)。この結果から、サンプル複雑性による干渉レベルの最も低い定量法であることが実証されています(1)。

AQUAグレードのペプチドは、品質と純度が優れているため高価となります。そのためターゲットアッセイ開発時には、一般的に低品質の粗ペプチドが利用されています。種々ペプチド配列の全ライブラリーについて、最適なペプチドを同定するアッセイ開発用に合成/スクリーニングサービスを実施しております。ペプチド合成は、SRMアッセイのためAQUAグレードの純度/品質基準で実施いたします。

Targeted Assay Development-450px重ペプチドを用いたターゲットアッセイデベロップメントと定量化に関する概要。

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For Research Use Only. Not for use in diagnostic procedures.