Search Thermo Fisher Scientific
Search Thermo Fisher Scientific
伊川正人 氏(大阪大学微生物病研究所 教授)
2013年1月、第三のゲノム編集技術として、世界中の研究者の注目を集めたCRISPR/Casシステム。標的配列へ対応する短いRNAをガイド役にヌクレアーゼを誘導、ゲノム上の目的箇所を切断し、DNA配列の削除や追加を行なう。大阪大学の伊川正人氏は「論文を読むと同時にこのシステムを使う準備を始め、5月から10月にかけて50を超える遺伝子のノックアウト(標的遺伝子破壊)マウスを作製しました。従来法では50年かかってもおかしくない実験が半年でできたことに驚きつつも、この技術の可能性を確信しました」と語ります。そして同年11月には、わずか1か月間でノックアウトマウスを作製する方法を論文で発表。新たなゲノム編集時代の幕開けに貢献しました。
「CRISPR/Cas技術がもたらす変化は、単なる時間の短縮だけでなく、労力やコストの削減、さらにはバイオリソースのあり方にまで幅広い影響を与えるでしょう。新しいライフサイエンス時代の到来ですね」と語気を強めます。高度な技術、豊富な経験、そして困難を乗り越える精神力を必要とした従来法を使いこなし、生殖科学や受精に関する多くの研究成果を上げながら、数百系統の遺伝子改変マウスの作製を支援してきた伊川氏。容赦なく進化するゲノム編集技術の衝撃を真正面から受け止め、遺伝子改変動物への応用を軸に、この技術の可能性をさらに拡げる研究を推進中です。
新たな歴史の始まり
ヒトゲノム解読が終了した2003年以前から、人工ヌクレアーゼを利用したゲノム編集技術への関心は高まっていました。培養細胞や受精卵にも応用でき、動物種を限定せずに使える期待の技術として、多くの研究者がその進展を見守っていたのです。「非常に魅力的な技術でしたが、最初に発表されたジンクフィンガーヌクレアーゼ法は3塩基ずつの認識配列の組み合わせが難しく、取り組むことに躊躇していました。しかし2011年にTALEN技術が発表された時、塩基の認識方法もモジュール式で成功効率が高く、この技術を試してみることにしました」と伊川氏。そして遺伝子改変マウスの作製に取り組むとともに、細胞内でDNA二重鎖切断が起きたことを蛍光タンパク質の発光で検知するアッセイ系を開発します。「ところがちょうどTALENでマウスが産まれた頃、さらに洗練されたゲノム編集技術、CRISPR/Casシステムが発表されたんです。躊躇する間もなく、今度はこの技術の改良にすぐに取り組みました。そしてTALENで開発したアッセイ系を活用し、CRISPR/Casシステムを使って一か月間でノックアウトマウスを作製する方法を確立しました」と語ります。
50年かかるかもしれない実験がわずか半年に
従来法でのマウスのノックアウトやノックイン(標的遺伝子挿入)は、最初にES細胞の相同組換え(HR)を介してゲノム改変を行うことから始まります。そしてES細胞のスクリーニング、胚盤胞への注入によるキメラマウスの作製後、交配により次世代に遺伝子改変したゲノムが伝わることを確認していきます。「ES細胞導入用のプラスミド作製とES細胞での相同組換えに数か月から半年、そしてキメラマウス作製と交配は順調に進んでも数年かかる根気のいる仕事です。しかもES細胞での相同組換え効率は低く、うまく選別できてもキメラマウスが産れるとは限りませんし、キメラマウスができたとしても次世代に変異遺伝子が伝わらないと意味がありません。一年近く、交配させ続けたこともありました。もちろん変異遺伝子が伝わらなければ、最初からやり直すことになります。ですからこれまではテーマを絞りに絞って実験を開始しなければなりませんでした」と従来法の難しさについて説明します。「ところがゲノム編集技術を活用すれば、複数のテーマを並行して進めることも容易です。従来法で50種類の遺伝子改変マウスを作ろうとすれば50年かかっていましたが、それが約半年に短縮できるのですから」と続けます。
始まりはグリーンマウスの作製
高校の頃に読んでいた科学雑誌の影響で、「遺伝子組換え技術」にあこがれて大学へ入学。大阪大学薬学部の岡部勝教授の研究室で分子生物学実験に打ち込みます。1995年、大学院生の頃にマウスの受精卵前核にDNAを打ち込み、GFPを全身に発現するトランスジェニックマウスの作製に成功します。鮮やかに光るグリーンマウスは、高校の頃に憧れた遺伝子組換え生物。その後、このマウスを使って雌雄性差の研究や生殖細胞の性分化機構など成果を出していきます。ただしこの方法では、外来遺伝子の過剰発現は行えても、目的遺伝子のノックアウトやノックインはできませんでした。伊川氏は岡部氏とともに大阪大学微生物研究所の研究室へ移動し、西宗義武教授から勧められて、ES細胞の相同組換えを利用したノックアウトマウス作製に取り組みます。「手探りで始めたので最初はどのような条件が重要なのかも分からず、インキュベーターのドアの開閉回数にも気を使う時期もありました」と当時を振り返ります。「しかし様々な試行錯誤の末、1995年にカルメジン遺伝子のノックアウトマウス作製に成功しました」と伊川氏。カルメジンは精巣特異的な分子であり、ノックアウトマウスは雄性不妊となりました。さらにノックアウトマウスの研究から、精子の透明帯結合能力は考えられているほど重要でないこと、精子膜タンパク質のイズモが卵子との融合に必須であることを次々と明らかにしていきました。その一方でノックアウトマウス作製の技術の高さへの信頼から国内外の多くの研究者と共同研究を進めたり、サポート体制を整えて多くの研究を支えてきました。
誰もが使える技術へ
個体レベルでの遺伝子機能解析ツールの開発とともに、遺伝子改変動物を用いて生殖生物学の研究を常に第一線で行ってきた伊川氏。新しいゲノム編集ツールの出現をどのように見ているのでしょうか。「この方法を使えば受精卵にプラスミドを注入し、産まれてきたマウスの遺伝子を調べるだけです。特別な技術や設備の必要性が減り、かなり一般化すると思います。また細胞の実験にも大きなパラダイムシフトが起きそうですね。細胞レベルで遺伝子破壊ができるので、事前に遺伝子改変動物を準備する必要もなく、完全に機能阻害できなかったsiRNAとは異なるアプローチが可能になります。しかも動物種を限らずに使えるので、iPS細胞を含むヒトのセルラインでも様々な改変が行え、それをスクリーニングに使うことで創薬への貢献も大きいはずです」。最高の技術で最高の研究を進めたいと話す伊川氏。これまで蓄積してきた知識や経験やネットワークを活かし、留まることのないライフサイエンスの新たな世界で一層の活躍が期待されます。
関連リンク